さまざまな流派の名をもって擡頭してきていないことを見ても分ります。フランスのブルジョア文学は、その老齢においてさえも、民族の文化の伝統を防衛するために努力をつくしました。ヨーロッパそれぞれの国における進歩的な芸術家たちは、戦争中ファシズムの暴力から民族解放と民主主義を救うために闘ったし、戦後は新しい戦争挑発と闘い、自分の国の中の旧勢力と闘い、文学の行動においてはっきりと世界の民主主義とそれによってだけ確保される平和のために情熱的に活動しています。流派という小さな分派の中でダダだ、キュビズムだといっていられないほどの大破壊と新しい社会価値の建設の必要があらわれています。第一次大戦で旧い王権はとりのぞかれたが、第二次大戦のあとにはファシズムの根となる世界経済の上での独占力を民主化するという大課題がおこっています。だらか日本におかしな形で一時流行したサルトルにしろ、彼の実存主義は第一次大戦後の心理分析主義のような形でヨーロッパ文学を支配することはありません。第二次大戦後の世界文学は、その進歩的な発展的な面では、大局的にそして決定的に民主と平和の方向をとっています。第二次大戦によって利潤をうけた人々はその利潤を失うことを欲していないために、戦争挑発も行われているのが現実です。しかしヨーロッパや東洋の荒廃した国々の誰がこの上にも戦禍を重ねたいと思っているでしょう。真実に求められているのは平和です。平和を可能にする世界の民主化の確立です。このことは、こんどの大戦後の世界に、民主主義婦人同盟ができて千百万人の婦人を組織していること、世界労働組合連合が数千万の労働者を組織していること、民主主義政党の発展、ユネスコの計画など見てもよくわかります。
日本人民の新しい社会生活と文学の方向も当然この世界の大きい流れにそったものでしかあり得ないのは明白です。だけれど、なにしろ日本はひどい封建性と軍国主義の残りが強いから、たとえば文化面における戦争協力の責任追求も、実にいい加減なものだし、追求されたそれぞれの文学者たちがまた一向本質的な痛痒を感じないで、武者小路実篤のように平気で、その平気さをブルジョア文壇から公認されているか、さもなければ石川達三のように日本が又再びあやまちを犯すことがあれば、自分もそのあやまちをくり返えすだろうと、暗に又の機会を期待しているような心持の人がユネスコの役員に
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