が、とっくりのみこめて肚におさまるように政治的に導びかれなかったということ、経済主義一方では人間性はもちきれないという深刻な事実を示していると思います。もしここに一人の作家があってあの当時の経済闘争の中に揉まれる働く人々をとらえ、その闘争と闘争の過程におこるすべての人間的、社会的な問題を人民解放のひとこまとしてとりあげて描いたとしたら、二月ののちに広汎に起った物取り主義という批判そのものさえも当時あったよりはもっと複雑に労働階級を政治的に豊富にする作用をもち階級性を強める新しいバネとして受け入れられたでしょう。
 民主主義文学の負っている課題は、実に大きく複雑です。民主主義文学は労働階級の動きを表面から模写してゆくのではなくて、すべての勤労者と小市民・インテリゲンチャが歴史の中で、一人一人の必然の過程を通ってどのように新しい推進力として民主革命に参加してゆくかという物語の語り手でなければなりません。ブルジョア文学は一般人間性について語りました。個性と個々の自我について語りました。そこまででブルジョア文学の本質的発展は止っている。民主主義文学は世界の歴史におくり出されて、ブルジョア文学の内部では大ざっぱにしか理解されなかった一般人間性から、人間の階級性を描き出すことを可能にしたし、更にはかなく弱く権力に踏みにじられる存在でしかあり得なかった個性と、個々の自我とを、複雑多様な階級の性格をなす要因、階級的な自主性・独自性としての自我に拡大再組織してゆく可能性を許されているものです。そしてこの可能性は我々が日夜の努力によって、それを実現するかどうかということにかかっています。
 民主主義文学の任務を私たちの一人一人が、以上のようなものとしてしっかり腹に入れた時、はじめて私たちの民主主義のための全闘争が本当に新しい人間らしい主張として、自分にも納得されると思います。中野重治が、ファシズムとの闘いに関する報告の中でこのファシズムに対する闘いということは、まず第一に、私たち一人一人がそれを自分の問題として、日常生活の中に納得することが必要だといった意味がここにあると思います。

 こうみて来ると、民主主義文学の創作方法についていろいろ云われているその問題も自らはっきりしてくると思います。日本の社会には、まだ社会主義が建設されていないのだから、今のところ勤労者的リアリズムという程度
前へ 次へ
全16ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング