間性の中に受け取られるのは、決してただ働く者ならば経験している場面がとりあつかわれているからでもないし、はらはらする筋の面白さからだけではありません。或る職場に働いて生きる人々が生活の必要から出した要求を、経営者側はどのように扱ったかということでこれまでだって十分知っていた筈の働かせる者と働く者との関係が、その顔つきと声と体温との具体性によって実感され、字で読んで分っていたとは違う人間感銘によって自分の人間としての社会的存在の場処を対決させられる。そのなまなましさ、その同感によってその作品は、読者にその人の属する階級を自覚させます。ストライキの間に起ってくるいろいろの家庭問題、婦人労働者がストライキ委員会につめきることで、親の考えとぶつかる過程、或は良人とのむずかしいいきさつ。職場仲間の離合、権力との闘い。それが作品の世界に生きる人々の心の問題としても深く掘り下げられ追求され展開して行ったときに、読者はその作品をよむことによって勇気を与えられ、なぐさめられ、豊かにされ、自分の経験を再びかみなおし、階級者として成熟してゆくモメントとなります。
一昨年の十月から昨年の二月まで、労働攻勢が強くて二月にその頂点をきわめました。この期間日本中にストライキの波が高まり、賃金は上りました。ところが二月のゼネストの計画が流れたあと、何故組合内にいわゆる物とり主義[#「物とり主義」に傍点]に対する批判ということが始ったのでしょう。それにひきつづいて、組合活動における文化面の重要視がおこったのは何故でしょう。
インフレーションの速度にくらべれば、あの頃労働者が闘い取った賃金は幾らのものでもなくて、今日生活窮乏は一般的です。それだのに何故物取り主義などという索寞とした自己批判が起ったのでしょう。経済闘争だけで終ったとき、人々の心に湧いた人間としての物足りなさ、やったことが間違っていないことはたしかでも、なお一抹のものたりない思い、充実しない感じがあって、こういう声を生んだとしか思えません。それは労働者の正当な雄々しさをかげらせる気分でした。働く者の当然の必要から要求してかち取ったものが、何で物取り[#「物取り」に傍点]でしょう。闘い取った幾らかの金が一人一人の働く人を人生的に何処かでうるおしたことがはっきりと自覚されるか、あるいは、そのようなたたかいそのものの人民的な歴史の上での意味
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