で、誠之に通っていたころ、学校はどこもかしこも木造で、毎日数百の子供たちの麻裏草履でかけまわられる廊下も階段も、木目がけばだって埃っぽかった。東片町の通りから入って来ると正面が正門で、入ったところから砂利がしきつめられていた。桜の大木が右手に植っていて、その枝の下に、男児の下駄箱、つまり出入口があった。小使室が続いていて、お弁当の時黒いはっぴ[#「はっぴ」に傍点]を着た小使が両手に三つずつ銅のヤカンをもって来て、教壇の上に並べて置いた。そのお湯は、桜の樹の下の小使室の土間を入った右手にある大釜から大きなひしゃく[#「ひしゃく」に傍点]でくみかえされるのであった。
正面に表玄関があって、式のある日はその表玄関が左右にひらかれ、紫メリンスの幕がはられた。そういう日には、黒い学校の門の左右の柱に、必ず大きい日の丸の旗が飾られるのであった。
表玄関を子供たちが出入りするということはなかった。女の児の入口は、左手の、受付と書いてはあるがいつも閉っている小さいガラス戸の横についていて、そこは先生の入口と直角になっていた。先生の入口から入ったところに、長い幅ひろい机をおいた裁縫室があって、窓の下
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