ているのは、決して一朝一夕の思いつきではないのである。
藤村の『若菜集』(明治三十年。二十六歳)引きつづいて翌三十一年の春出版された『一葉舟』『夏草』、第四詩集である『落梅集』などが、当時の若い人々の感情をうごかし捉えた力というものは、今日私達の想像以上のものがあったらしい。日露戦争の後、日本に自然主義文学の運動が擡頭する前、日清戦争の勝利によって、新しく世界へ登場するようになったばかりの日本の社会には、謳うべくしてその言葉を知らないような新鮮な亢奮が漲ってもいただろう。与謝野晶子が、その「みだれ髪」によって人々を恍惚とさせたのもこの前後のことであった。藤村の若菜集は、二十六歳の青年詩人の情熱をもると同時に自らその当時の社会の若々しい格調を響かせたのであった。
『若菜集』の序のうたに、藤村は自分の詩作を葡萄の実になぞらえている。この一巻に収められている「草枕」「あけぼの」「春は来ぬ」「潮音」「君がこゝろは」「狐のわざ」「林の歌」等いずれも、自然にうち向かって心を傾け物を云いかけ、人か自然か自然か人かというロマンティックな境地にひたって作者は自然を擬人化し、それに対置して「されば、落葉
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