ではないか。
 斯うやって考えて見ると、どうしても三時頃に私共が乳を作りに起きた時には、台所の電話室に居たのだろう。
 若し、私でなくっても誰かが思いがけない出会い頭に声でも立てたらどんな事になるか。
 皆は、ほんとに誰一人目をさまさず声も聞かなかった事を、此上なくよろこび合った。
 三面で見る様な、惨虐な場面が、どうしたはずみで起らないものでもなかった。
 まあこれぞと取られたものもなしするからほんとによかったとは思ったけれ共、一番部屋の端に寝て居た自分は、きっと蚊帳を通して、自分の寝姿を見られた事は確かだと思うと、女性特有の或る本能的な恐怖は、強く浮き上って来て、自分の眠って居たと云う事は、将して、ほんとの自分の眠りであったろうかなどと云う事さえ感じられて来た。
 そして種々恐ろしい様子を想像して見れば見る丈、今斯うやってきのうと同じに、歩き喋り考えて居られる自分が、又外の家中の者が、ほんとに仕合わせであった様に思わずには居られなかったのである。
 巡査は間もなく帰って行った。
 けれ共、段々彼方此方片附け出すと、泥足の跡のある着物だの、紙片れだのが発見された。
 その中でも、最も皆を縮み上らせたのは、湯殿の化粧台のそばに落ちて居た一枚の「ぼろ」であった。
 うす黄い、疎な木綿の二尺ほどの布は、何か包んで居たらしく皺になって、所々に金物の錆が穢らしくついて居る。
 何か金物を包んで来たのだと云う事は確かである。
 皆の者は、そのうす汚れた布片れにくるんであった、赤錆のついた鉄棒か斧が、真暗の湯殿に立って、若し誰でも来たらと身構えて居る男の背後にかくされてある様子を思うと、ほんとに背骨の一番とっぽ先が、痛痒い様な感じを起して来る。
 若し自分でも、フト用足しに起きでも仕て、彼那どこの馬の骨だか分りもしない奴の錆棒なんかで、グーンと張り倒されたなりにでもなって仕舞ったら、どんなだったろう。
 さぞ私は美くしく、賢こく、好いお嬢様であった様に云われる事だったろうに。
 美人と云われたけりゃ身投げしろと云われた下女の様な事を考えて居たのである。
 家中は、畳の上まですっかり雑巾をかけられた。
 風呂場の手拭では、どんな事をしたか知れたものでないと云うので、すっかり新らしいのに掛け換えられ、急に呼ばれた大工は、「本職の奴等」につけ込まれない様にしまりをすっかりしなおした。
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