ほんとの自分が泣けば、一緒に声を合わせて泣く自分の影ではない。いつも、書いて行くものである。自分が泣いているときでも、憤っているときでも、「彼女は、今理由の分らない悲しみ、悲しみだか何だか分らない一つの心持に泣いている……」と書いて行くものである。
 これが、彼女に漠然と理想的人格の価値を感じさせ、欣慕《きんぼ》と到達の願望を起させ、また信仰の胚種を、その核の中で微かに膨らせて行った。
 それは何だったのだろう。後から考えてもよく分らなかったが、多分、微かに目醒めた理性が、より多くの空想と、感情とに包まれて、全然空想だとはいえず、全然理性だとはいえない、この一の現れとなったのであろう。
 かようにして、自由にされ、広い世間と僅かずつ触れる機会の多くなるにつれて、かなり急速に彼女の箇性が形作られて行った。――というより、箇性をやがて作る種々雑多な片鱗が、あっちから、こっちから或は自然に来、或は拾い集められ始めたのだという方が、適当であろう。とにかく、彼女ははっきり「我」というものについて考えるようになって来た。
 私はどんな人にならなければならないだろう、そして、どんな人が、ほんとに立派
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