れずにあった、或る人への手紙が、一番よく彼女の云いたかったことを云っているように思われる。青い小形の紙に、Aさん、私は今こんな話を思いつきました。
という書き出しで、細かい字がぎっしり七枚の紙を埋めている。それは多分十五年と十六年との間の冬に書かれたものらしい。

「昔、昔、或るところに一人の王様があった。
 彼は生れたときからどうしたのか、耳殻が両方ともついていない。立派な王冠の左右へ、虫の巣のように毛もじゃもじゃな黒い穴ばかりが、ポカリと開いていた。
 その様子が非常に滑稽だったので、子供達や、正直な若い者は、皆、
 王様は立派でいらっしゃるが、あの耳だけはおかしいなあ、
と云ったり、笑ったりした。
 もちろん王様自身も気が気ではなかった。が、どうすることも出来ないのでいつもいつも自分の不仕合わせな耳のことばかり考えておられた。
 ところが或る晩、王様がよく眠っているところへ来て、しきりに起すものがある。びっくりして王様が剣へ手をかけながら起き返っていると、裾の方に、だんだら縞の着物を着た一寸法師が揉手《もみで》をして、お追従笑いをしながら立っている。
『お前は、一体何者だ、夜中に何の用がある』
 王様は少し安心して訊ねた。
『ハイ、私の無上に尊い王様、私奴は陛下のお耳のことにつきまして上りました』
 一寸法師は、一層腰を低くしながら云った。
『何? 儂《わし》の耳のことで来た? そうならなぜ真先にそう云わん。さ、もっと近く来い、寒くはないか……』
『有難うございます、陛下。実は真にいい考えが浮びましたので、一度はお耳に入れて置きたいと思って上りました。御免下さいませ』
 一寸法師は、王様の白|貂《てん》の寝衣の肩へ飛び乗った。そして、真黒な穴へ、何か囁くのを聞いているうちに、王様の顔は、だんだん晴々として来た。
『ホホウ、これは妙案だ、フム、実に巧い!』
『いかがでございます、陛下』
『実に妙案だ、さぞそうなったらうるさくなくて気が楽じゃろうてハハハハハハハ』
『ヒヒヒヒヒヒヒヒ』
 一寸法師はどこかへ消えてしまった。
 翌日、総理大臣が来ると、陛下は早速書物机の上から、羊皮紙へ立派に書いた、新らしい詔を取って、
『早速実行せよ』
と云われた。開いて見ると、国中の人民は一人残らず耳殻を切り取れ。なぜなれば、神の選び給いし国王に耳殻が与えられていないのは、それが無用の長物であることの動かすべからざる証である。慈悲深い王は、我が愛する国民に、無用の長物を負担させて置くに忍びない。と書いてある。
 自分の耳を切るのは厭だったので、総理大臣も一生懸命に忠告した。けれども、王様は神の命令であると云って取り合われないので、とうとう仕方なくその日から国中の人民が、泣きながら、耳殻を切られた。
 十日ほど経って、王様は国を巡邏《じゅんら》されて、どこもかしこも、自分と同じ者ばかりで、もう一言の悪口も聞かれないのに、すっかり満足させられて、思わず王|笏《しゃく》を振りあげながら、万歳! と叫ばれた。そして、彼は、もう世の中のあらゆる不幸を忘れてしまった。
 ところがその年の暮れに、急に隣国の兵が攻め寄せて来た。王様は早速、適当な兵を送り出して置いて、いつもの通り瞬く間に勝って来るのを、王宮の暖いお寝間の中で待っておられた。
 けれども、どうしたのか、兵は、却って隣国の者に追いまくられ、散り散りばらばらになってしまったので、また、二度目の出兵が必要になった。ところが、その二度目も負けて、三度四度と、兵隊のたくさんが出されたが、どうしても勝てない。そして、とうとう、もう這っている赤坊の男の子ほか国中にいなくなってしまった。
『いったいこれは何事じゃ? え? お前の政治の手腕は国を滅すことほか出来ないのか、馬鹿奴、どうしたらいいというのか!』
 王様が泣きながら怒鳴る前で、宰相は、これもまた涙をこぼしながら、
『陛下、恐れながら、耳殻のございました時分、我々の憐れむべき国民は、一度の戦に負けたこともございませんでした』
と云って、お辞儀をした」
 この話を貴女は、どうお思いになります。もちろん、馬鹿馬鹿しい滑稽なことには違いありません。けれども、耳を切られ、殺されてしまわなければならなかった国民に、私は同情せずにはいられません。そして、その同情は即ち、これと同様な位置にある自分への同情であることはすぐお分りのことと思います。
 こんな話を考え出すほど、このごろの私は、不安やら反抗やら、圧迫やらに苦しめられているのです。
 いつぞや、御一緒に買った「あの本」の中に(多分智慧と運命のこと。)
「生命は我々に与えられている――その理由は知らない――けれども、それを弱からしめんためでもなく、また軽卒に振り捨ててしまうためでもないことは、確である」
とい
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