に、現代文学の現実のなかではあらましに、婦人作家と総括は出来ず、婦人作家の中にも、社会的な芸術の素質でそれぞれこまかい相異がある。女というひと色で云えないことは、男の作家を男というひといろで云えないと全く同じことだと思う。未だ婦人作家というと、女というところで概括し、こんな場合何か男から女に向って物を云うという風に表現されて来るところも、文学の領域でさえそれの怪しまれないことも私たちが今日に持っている文化の性質を語っていると思う。
 これからの一年はまさしく十年に相当するばかりでなく、その飛躍の質では、紀元二千六百年の日本にして初めて経験する社会生活の諸相であろうと思う。
 文学は、その現実にどこまでしっかりとくッついて、その真の姿を描き出して行き得るであろうか。どこまで人間精神の経歴としてその中に沈潜して省察し、収穫し、芸術化してゆくであろうか。このことは、作品のなかにトピックとして或は題材として世相を盛るということよりは遙にむずかしく深く、そして文学を文学たらしめるものであるのだと思う。[#地付き]〔一九四〇年二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
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