あってあらわれた、自分の言葉の内容とその隣りの記事の内容とを、この現実のなかでのこととして、どんな感慨をもって見較べたことであろうか。
 文芸の成長の真のモメントは、案外こういうところでの自分の姿に人間らしく吐胸をつかれる敏感さに潜んでいるのであろうと思う。
 あちらの兵士たちは、これまで日記をつけていたものは破棄するように云われているという事をきいた。それには、それだけの必要があるからのことであろう。火野葦平として自分の書けたことに、作家としての葦平は又感慨なくもないであろう。その感慨を、彼はどんなに身にひき添えてかみしめているか。作家としての自分が従来の作品の文学性の砦の胸壁のようにそこへ胸をもたせかけて来ていた人情というものをその現実のありようの多面のままにどこまでさわり[#「さわり」に傍点]以上のものとして発展させてゆくか。云ってみれば、これまでの自分にいかに幻滅し得る勇気をもっているかということに、文学の徒としての基本点がかかっている。
 何かの婦人雑誌に彼が最近かいたものの中で、文学を日夜想念する作家として誰彼のことを云っていたが、文学の想念ということは、窮局には、たゆまず
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