隊」その他の筆者として働いて来て、さてこれから、どのような方向にその成長の実質を高めて行くだろうかというようなことも、日本の文学の一方に注目をひくことである。火野葦平のそういう働きかた、動かされかたは、この二三年来の大局から見て彼一人に止らなかった。いろいろの形で彼を動かし又彼が動いたような動きの本質が、日本文学に入って来ていて、それはやはり現代文学の流れに或る色調を加えたものである。将来の文学の流れに流れ入る一つの要素となっているのである。
火野葦平は、帰って来たときすぐ朝日新聞に「帰還兵の言葉」というものを発表した。そのなかに、あちらにいたときは物資が欠乏しているということを頻りにきかされていたところ、帰って見たら物資は店頭にあふれていて、これでこそ興亜の大業に進む国の姿であると愉快に思ったという意味が語られていた。私たち一般人の生活の日常では、炭や米の問題が旺《さかん》におこって来たこの二ヵ月ばかり前のことであった。そして、そういう火野葦平の文章ののっている朝日の同じ紙面のすぐ側に、米の配給に関する困難打開会議の記事も出ていた。「帰還兵の言葉」の筆者は、一つ紙面にそのように並びあってあらわれた、自分の言葉の内容とその隣りの記事の内容とを、この現実のなかでのこととして、どんな感慨をもって見較べたことであろうか。
文芸の成長の真のモメントは、案外こういうところでの自分の姿に人間らしく吐胸をつかれる敏感さに潜んでいるのであろうと思う。
あちらの兵士たちは、これまで日記をつけていたものは破棄するように云われているという事をきいた。それには、それだけの必要があるからのことであろう。火野葦平として自分の書けたことに、作家としての葦平は又感慨なくもないであろう。その感慨を、彼はどんなに身にひき添えてかみしめているか。作家としての自分が従来の作品の文学性の砦の胸壁のようにそこへ胸をもたせかけて来ていた人情というものをその現実のありようの多面のままにどこまでさわり[#「さわり」に傍点]以上のものとして発展させてゆくか。云ってみれば、これまでの自分にいかに幻滅し得る勇気をもっているかということに、文学の徒としての基本点がかかっている。
何かの婦人雑誌に彼が最近かいたものの中で、文学を日夜想念する作家として誰彼のことを云っていたが、文学の想念ということは、窮局には、たゆまず
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング