徒に新奇を競うて、外国人の営む生活の形骸を真似るのは、全く笑うべく悲しむべきことです。
併し、一国の文化、社会状態を観察した場合に、何時も、その裏面、消極的方面のみに注目するのは、果して妥当な態度でしょうか。
他人の話を聞き、他人に会い、その言動の裡から欠点ばかりを摘発するとしたら、結局自分は、今在るだけの自己を肯定するばかりで、何ら新らしい利益を得たことにならないのではありませんか。同様のことが、外国旅行者にも云えると思います。
その上、日常生活はまるで日本とは違い、言語まで、その微妙な点で自分達の持合わせた感情とは異った内容を含蓄しているような場合、先ず、変なこと、妙なことの方が、一般の地味な社会生活の基礎よりは目立って見え、注意を牽くのは当然です。一寸見た場合、完全な顔の道具だてを持っている者よりは、大きな痣でも頬にある者の方が人目を欹《そばだ》てしめる。けれども、それが人類に与えられた顔として典型的なものであると云う人はありませんでしょう。
修辞上の効果から云えば、自己の主張し肯定しようとする一方のものを引立てるために、それと対照する他の一方のものを強調して描くのが賢い
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