難関となることが多いでありましょう。けれども、又異った故障が起ることがある。それは、或る研究なり、職業なりに従事している婦人が、或る異性に愛され、愛した場合です。彼女が、結婚生活に入る迄の仕事としてそれに対してい、結婚と同時にそちらは全然第二義? どうでもよいものにして仕舞う積りでいるのならば難かしいことはありません。日本の生活とは違い、交際も多く、用事も多いながら、建築や、日常風俗の影響から、一日に少くとも午後数時間の余暇は持ち得るあちらの生活では、遣ろうと思えば余技的な研究はいくらでも出来ます。その時間を利用して仕事を持続する丈で満足と思う人ならば簡単です。けれども、或ることを自己の天職と思い、たとい如何に愛を得、幸福を得るとしても、決して、その仕事には変更を与えたくない、それを主にして行かなければ到底安らかに生きられない、と云う時、彼等の間には、真面目な相談が起らずにはいないのです。
 彼等は、若い愛人同士とは思われない程落付いた綿密な態度で、家庭生活のプログラムを議し合うでしょう。
 第一、充分な時間。第二、研究なり仕事なりを実行するに是非必要な精力の経済。これ等が微細な実行問題となっては、種々な部分と、方法とに岐れます。これ等の、相互の生活が結合しないうちは何にも影響のないことであって、いざ一家を持つと種々な面倒や感情の齟齬《そご》を来しそうな点について、出来る丈精密な熟議を凝します。男子も同様な方面に働く人なら云うことはない。然し、そうでなく、或る程度までの趣味[#「趣味」に傍点]位に相手の仕事を見ていた者は、ここで、最大の決心をして女性の要求を拒絶しなければならないか、その深い広い愛で、悦んでそれを承引し得るかと云う境に立たなければならなくなって来るのです。斯様な立場では婦人も苦しみます。けれども、若し男性が、その時一時の気の毒さや興奮から、それを肯《うけが》って、却って後に不幸を招くようなことをするよりは、静に考え、寧ろ結婚するよりは、友達として平和な交際を続けることを勧めるほかないことさえあります。
 斯様に、全く自己の選択と意志によって一旦結婚してからは、彼等夫妻の関係が、真個に強い堅いものになるのは当然でありましょう。愛人とし、友として相互に見出した唯一人の男であり、女である。若し当初に於て誤ったものでないならば、彼等は老年、死に到る迄、胸の底
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