、或は、双方の重要な条件が相容れないためもう最後の一歩と云う点で失望に終るもの等、一方、軽々しく、まるで小荷物の郵送でもするような結婚があると思えば、他方には、苦しい、深刻な場面が展開されているのです。
 例として、或る一対の若者を見出しましょう。彼等は互に愛しています。結婚すれば、自分達がより楽しく、より笑顔多く生活出来ることは分っているけれども、夫妻の生活を安全に支えて行くだけの収入が、男性の方にない。或は、まだ学生生活をしている。若し、彼等が親となった時、その子に完全な扶養を与えることが出来ないと云うような場合、如何に若くても、彼等が社会生活に訓練されていると感心することは、斯様な時にも、決して、無思慮な行動に出ないことです。
 先ず、男が相当な地位に上るまで、或は職に就き得るようになる迄、互に確かな婚約を守って待っている。傍《かたわら》、女性の方も、学校の教師になるなり、事務所に務めるなり何なりして、力相当の蓄積をする。そして、二年なり三年なりの後、安全な基礎に立って生活を始める。日本の風習では、そんな場合、何故、娘なり息子なりの両親、同胞が助けないか、と云う質問、何故、僅かの間、良人の両親の家に起臥《きが》は出来ないのか、と云う疑問が起るかもしれません。
 助けないのは、薄情からではない。親も、若い者達も、自分達の生活を、他人の厄介で営むような恥かしさには辛抱が出来ない。我々[#「我々」に傍点]が結婚するからには、我々[#「我々」に傍点]で生きて行くのだ、と云う、確信があるからなのです。非常な富豪とか、又、一部の交際社会、所謂派手者の間では、親から財産を分与され、二十一で、お雛様のような結婚をする男もないではありません。
 けれども、多数を占めている中位の青年男女は、結婚の問題が起った時、果して自分等は自立して、一箇の家庭を営み得るか否かと云うことを考えずにはいないのです。幸、女子が何か職業を持ってい、その収入と合わせれば、優に二人の生活は保障されると云うような場合、事は容易に運ぶかもしれませんが、婦人が左様なものも持たず、又結婚後、家庭外に職業を持つことなどをよしとしない意見を捨てない女性であったりした時には、男子は苦しい思を抱いて引下らなければならないようなことにもなるのです。
 米国のように、生活の緊張した場所では、最も右のように経済的事情が、若者の
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