、友達仲間から除外されます。
 相当な面目を保った異性間には、何よりも潔白が重要視されます。友達は、飽くまでも友達です。而も、その友情が異性間に於ける場合には、自ら、同性間より微妙な節度と云うものがあります。決して、現在、日本で若い男女間の所謂交際と云うもののように、妙に陰翳があり、感情的で、危いものではありません。
 通り一遍の知人である男子と、第三者を加えず物見遊山に出かけたり、夜会に出たりすることは、正しい身持の娘なら決して仕ないことです。友達でも、或る年頃までは三人以上。二人きりで度々行動を共にするのを見れば、人はもう相互が愛人の関係にあるものと見、他の多くの異性の友人は、或る程度までの遠慮をするのが礼となっています。
 若し右のような不文律がなければ、交際社会に出た許りの十七八の娘は、如何程危険に曝されなければならないか分りません。どんな男性が、どんな心情を抱いて接近して来るか、日本などより遙に多い危険が、女性自身の矜持で防止されているのです。
 斯様にして交際しているうちに、多くの異性の中には、特に自分に興味を持ち、真実を抱いて来る者、又自らも抱く者が見出されて来るのが自然でありましょう。十人十五人の中では、先ずあの四五人が、真個に自分とは話も合い、心持も調和する。そう、あの四五人の中では――誰と、次第に時[#「時」に傍点]が選択を進めます。そして、何時とはなく、双方がより多く会う機会も持ち、より深く知り合い、愛敬し合い、愛人となる場合が多いのです。
 人間が真実に一人の異性を愛した場合、結婚は次に来る最も自然な結果だと思います。自分のこれ程愛する者と、どうかして共通な、心も身も団結した生涯を送りたい。愛する者ともろともに[#「もろともに」に傍点]生きたいと云う切な願が起った時、人間が人間である間は、結婚ほか道がなく思われます。自分の愛も深まり、相手の婦人の愛も知り得て、始めて男子から、求婚を申し出ます。それに、諾、否を与えるのは、最後の女性の自由権です。多くの場合、彼女は同じ幸福に輝きながら手を与えるでしょう。けれども、又、多くの場合、種々な問題も起って来る可能があります。結婚は一生の大事です。互が、最も希望と将来の光輝とを期待することである丈、種々に考慮しなければならない点が、実際問題となって起って来ます。それによって、幾年かの婚約を先ず予備するもの
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