》の紳士らしく装う男子に祭りあげられるのは、女性として如何に恥ずべきことか、と云うことも知っています。正当以上――過度に、尊敬、優遇されることは却って一種の屈辱であることを、真実な若者なら知っています。
それは、工場に通う女工のような者の中の幾部分や、小僧の幾部分かは、互の遊戯的気分から、わざわざ人中で靴の紐を結ばせ、結ぶような衒《てら》いをしますでしょう。然し、完全な四肢を与えられた者が、自分で自分の足の始末も出来ないでどうしましょう。又、そこまで身を曲げることも出来ないように高く堅いコーセットを胸に巻きつける必要が何処にありましょう。若い、健康な胸は、そのままで美しいのです。恐らく、彼女等の言葉も、私の書くと同じものであると信じます。
故に、少くとも、高等学校《ハイスクール》以上大学に学ぶ位の若い男女の間は、公平、公明であると云う理想によって結ばれていると云っても誤ってはいますまい。
教室や学生の倶楽部や、宴会によって、種々な異性同士が紹介されます。喋ったり、遊戯をしたり、一緒に舞踏をしたりして、多数の中で先ず交際が始ります。種々な傾向や種類の人中で自ら他と比較すれば、彼、或は彼女が、どんな性格、傾向であるか漠然とでも予測がつきましょう。
彼地のように、会合と云えば極特殊なものでない限り必ず男女ともに参集する処では、我国で、恐らく女同士、男同士あい、知人になるような気持で、知人は双方にいくらでも出来ます。けれども、互にその家庭に招き合ったり、一緒に一団となって饗宴に出たり郊外に遊んだりするようなのは決して誰とでも、と云うことではなく、異性の交際が自由であり普通である丈、相互に強い好き嫌い、選択が行われる訳なのです。
その選択は、これならばどう云う標準によって行われるかと云うことになります。
好きな友達、嫌いな友達は、何で分れるだろうか。勿論、各人の趣味、専門の方向によりましょう。根本は性格に因るとしても、そこに一貫した共通点は、男子ならば、何より先ず、婦人に対して決して卑劣な言動をしない事が、条件となります。
女性としては、貞潔な、己を高く持した朗かさを持たなければなりません。
人格を見抜く力もなく、頭もなく、ちやほやされるままに気位なくあちこちと浮れ廻る娘は、只一人の真友も持ち得ないと同時に、女性に対して無責任、或は破廉恥な挙動をした者は、忽ち
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