短い感想
――家族円卓会議について――
宮本百合子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)忌憚《きたん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三五年四月〕
−−
古いころから文学に関し、或はエレン・ケイの思想紹介に関し、様々の文化的活動をされた本間さんのお家で、そのお嬢さん達が友達をも交えて、親御さんをもともに座談会をもたれたという事は、私に何か印象を与えた。本間さんのところにいつしかもうそんなに大きい娘さんがたがおられるということ、私の少女時代に暗いロマンチックな作品をよんだことのある小川未明さんが今日では二十三歳になる若い女のかたの父親であられること。それらは、私に明治時代から今日までの社会生活と文学のうつりかわりをおのずから思いおこさせたのである。
いかにも屈託のない家庭らしい。速記録をよんで、私はいろいろの暗示をうけ面白く感じた。若い娘とその両親とが、公人としてそれぞれの立場から結婚の問題や婦人と職業の問題について睦じく公然と意見を話す時代になって来たのは、社会的に云っても、家族生活にとって一つの積極性であると思う。親と子とが、ひとの前ででも、しゃんと互を傷けずに各自の意見を表示し得るようになれば、多くの家庭を今日重く複雑にしている面倒な気心のさぐり合いが減って、楽になるだろうと考えたのであった。
ところで、この座談会では、多くの部分が婦人と職業との問題に費されたのであるが、私は本間氏が、娘さん達が独立して何か職業を持ちたいという心持はつよいが、さて自信をもって決行するところまでは行けないでいられる心持を評して、一般的に男はその職業で一家を支えなければならないから、職業に対し熱をもっているし「遊ぶという気持がない」と云い、夫人がすぐそれについて極めて自然に「どうしても、女よりも男の方が偉くなる訳ですね」と云っていられる点に強い注意を喚び起された。
本間氏はつづけて女が職業をもてばそれだけ男の就職線にふみこむことになるから、問題だと考えられるに対して、二十二歳の久美子さんは、さすがに今日の社会の現実は、決して男にも夫婦が食えるだけの収入を与えていないこと、既に女は経済の必要から職業を持たねばならなくなっていること、婦人労働者の低賃銀と児童搾取のことにも触れておられる。
私が心をう
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング