ごかされたのは、その久美子さんの聰い観察力をもってしても、父である本間氏と母である本間夫人との間に交わされた前述の短い会話のやりとりの間に、如何に深刻な新しい歴史の担い手の社会的内容が暗示されているかを見やぶっておられない事実である。
 本間氏夫妻は生活の必然から職業につく男は職業に忠実であり熟練し、当然の結果として遊半分職業をもっている女より偉くなると正しい結果論をしておられるのであるけれど、娘である久美子さんは、漠然とながら実際の必要から職業を求める女が増大して来ているという社会の事実をあげておられる。具体的に本間さんのところのお嬢さんたちは、目下食うために職業を求めておられないが、客観的にひろくこの世の中を見渡せば本間氏が主として男の側の負担としてあげられた一家の経済的支柱という役割は、特に昨今激しいテムポで婦人の肩にもその重みがうつって来ている。中流生活者の経済的窮迫は世界的な事実であり、知識階級の男女が自分のうけた教養を活かす余地なく教養の程度としては低い労働にも従わなければならない現実は、日本の婦人の就職率にもあらわれ、専門学校出の淑女より却って女学校、下って高等小学出の娘さんの方がよくはけているのである。
 勤労階級の娘さん達は、殆どすべて何かの程度で生活の必要から職業についている。職業について遊び半分の気分はすくないのである。現在の社会構成は人間が一箇の人物として完成する可能性を極度に剥奪しているから、職業に熱心であれば人間として偉くなれるという簡単な結論はなり立たぬにしろ、本間氏夫妻はその会話の裏に計らずこめられた現実によって、例えば職業についても遊び半分の気のすくない勤労階級の娘が、フラフラして片手仕事に勤めている有産階級の娘より偉くなる可能性をもっているという重大な歴史の発展性を、私達に暗示しておられるのである。
 久美子さんが職業に突きすすみ切れずにいることに対し、本間夫人がその原因を久美子さんの性質にあるという意見を示しておられると思うが、私はこの点をも、興味ふかく感じて読んだ。一人のひとの性質というものも生活環境の複雑な関係によって作用されているものであるのだから、久美子さんがそういう内輪な気質であるとしても、その気質にしたがって、別に目下生活問題として職業につかねば食うに困るということはない本間家の生活状態が反映していると見られるのであ
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