古い、惨虐な権力を退場させるものは、即ち自分たちインテリゲンツィアをふくむ全人民の進出である、ということが十分わかっている上で、古いものの否認がされたのではなかったのであった。
このことは一九三三年以来、日本にはプロレタリア文学の運動が絶滅させられていた事実によって証明される。プロレタリア文学運動の窒息させられたあと、反ナチの人民戦線運動が日本にもつたえられた。これは、ドイツの封建的残滓の上に発生した封建的独裁に抗し、近代民主主義の基本的人権を主張した運動であった。が、日本では、プロレタリア文学運動をうちこわした治安維持法への恐怖から、人民戦線運動の骨子である社会性、近代社会の民主性の主張をぬきとって、この人民戦線運動が説明された。反ナチの運動は、決してドイツのナチズムへの遠い抗議でなかった証拠である。インテリゲンツィアがナチスの独裁へ反抗を示すことは、とりも直さず日本のなかで益々独裁を強化して来た絶対主義体制への抗議を意味したのであった。こうして、人民戦線の提唱のとき、もう近代の民主的主張をひっこめて、非政治的に、非社会的にそれを提案した日本の一部のインテリゲンツィアは、その後ひき
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