速口な、然し聞とり易い落付いたアルトの声で、全心を注ぎ、講義された俤が、今に髣髴としている。
 先生は、顔に表情があるばかりでなく、肩から腕にかけて、非常に特殊な性格の一部を表して居られた。長い、肱の折れめの深い腕に、何とも云えず謙譲な、つつましさ、敏感さと云う感じが漂っていた。掌は、やや大きく確《しっ》かり力ありげに見える。

 先生が、教える学課を何かの機縁にして、一人一人の生徒が自己を啓発して行くように努力されたことは、公平に、時を惜まず、箇人的な質問に応じられたことでも明であった。
 学課についてでも、課外の読書に関してでも、或はもっとプライヴェートな相談でも、他に障害を来さない程度で、指導をいとわれなかった。読んで見るとよい本なども丁寧に教えられた。私が、科学的な書籍に或る程度の興味を感じ得るようになったのも、自己の裡に湧き上る思想、感情を、先ず持ちこたえて整理することを覚えたのも、皆、先生との座談的な質問、応答の裡に、習ったと云ってよい。

 私のみならず、他の多くの若い女性にとって、先生は知識の指導者であるばかりでなく、一種心の頼りであった。うっかりしたことを云っては愧しいと云う心持のある他方には、所謂先生に対して云えないことも云っても大丈夫と云う安心が暗黙のうちに在った。
 熾んな求道慾と、人生の風情と云うものを、美しく調和させようとするところに、先生の人を導く的があったのではなかったろうか。
 児童教育の理想を話される時など、人性の尊厳、微妙さの感歎、セコンド・ジェネレーションに対する健全な期待の心などが、流露した。先生の話を伺っているうちに、若いものは、生活を愛し、価値を高め、積極道に活きずに居られないような、光明、希望、勇気を与えられたのであった。
 知識慾の燃える者は、その方向から、軟かな、当途のない情緒に満ちたものは、只漠然とした好もしさから、先生に接する程のものは、皆、先生を敬愛した。然し、なれ易いところはなかった。
 今になって考えれば、理想主義的現実主義とでも云うべき先生の思想は至極穏健なものであった。
 それでさえ、当時は、やや異端であったのだから、驚く。
 先生の境遇は、感情的な偏見と、名誉慾に古びた女性の集団に挾まって、その時分も、かなり晴々しくないものがあったらしく思われる。

 私にとって印象の深い、一插話がある。
 丁度五
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