年頃、千葉先生は、水色メリンスの幅のひろい襷を持って居られた。その頃は、毎朝、始業前に、運動場に集って深呼吸と、一寸した運動をすることになっていた。先生は、そのような時、その水色襷で、袂をかかげられる。
十字に綾どられた水色襷が、どんなに美くしく、心を捕えたのか。私と同級の一人の友達は、いつの間にか、それと寸分違わないもう一つの水色襷を作った。そして、何気なく体操や何かの時、ふっさり結んで肩につける。
ところが或る日、担任の先生から、
「近頃、誰の真似だか知らないが、いやに幅の広い襷をかけたり、髪をゆるく落ちそうに巻いたりする人があるが、よろしくない」
と云う意味の小言を云われた。皆の心には、ぴんと、響くものがあった。
翌日、さすがにそのひとは、水色襷をかけなかった。けれども、とても捨てかねたのだろう。四五日置きに、遠慮ぶかく、水色の襷が、動く手や頭の間にチラチラ見えた。(この愛らしい娘心の持ち主は、卒業後間もなく結婚して、死んでしまった。先生は勿論、此事を、此をよまれる迄御存知なかったろう。一体、生徒との、他から注目されるようないきさつは、全く好まれなかったのだから)
最近になって、私は久しく先生におめにかからない。先生の思想もお変りになったろう。自分の人生の見かたにも変化が起った。
けれども、いろいろのことから、一箇の人とし、女性とし、先生に持つ心は、以前にまさるとも劣らない。わたくしが、あまり頻繁におめにかかれないのも、互方いそがしいと云うばかりでなく、今迄とまるで違った分子が、先生に対する感情のうちに入ったので、それを、どうくだいて、楽に現してよいか、変なきまりのわるさがあると云うこともある。
時に、憂鬱になるほど、私は先生と、先生の圏境とを思うことがある。
先生の忍耐強さ、他を傷ることを飽くまで避けられる性質、思慮の細かさ、其れ等が却って先生の身を食うようなことがありはしないだろうか。
先生の、レザーブした魂が、黙って様々の深い思いを背負っていることを思うと、私は殆ど畏怖を覚える。先生を愛する弟子の一人とし、わたくしは、心から、先生の生活が、性格に対して自然に、いためつけられず進んで行くことを、祈ってやまない。どうぞこの祈りが、いつか、不思議な、先生の運命の扉の掛金に迄届くように。
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(附記。私は猶、胸にのこる多く
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