た。
大層すらりと均整の整った体躯、睫の長い、力ある大きな二つの眼、ゆっくりとつくろわず結ねられている髪や衣服のつけ方などが、先ず外形的に、一種の快さを与えた。
最初の一瞥で、何とも云えず感じの深い而も充分威に満ちた先生の為人《ひととなり》を感じた私は、歴史の試験で、年代などを忘れ変な答案を出すと、不思議に心苦しい思いをした。
先生が、試験の点どころか、恐らく学校の成績にさえ、拘泥して居られないことは解っていた。けれども人を観ることの鋭い先生に、出来ない生徒と極めつけられることは、恥しく堪え難いことなのであった。
五年生になってから、私共は教育心理学を教わることになった。そして、先生の人格的の影響は、愈々《いよいよ》大きく成った。
一週二時間の教育の時間を、私は如何那に待ち、楽しんだろう。私にとって学問らしい学問は、千葉先生の時間ほかなかった。僅か一時間の課業ではあったが、講義の一回毎に、頭が蓄る知識で重くなるようにさえ感じた。窮屈な文部省の綱目に支配された女学校の課程の中で、教育だけは先生の自由にまかされていたと見え、飢え饑《かつ》えていた若い知識慾が、始めて満される泉を見出したのであった。
生徒として、私は不規則な我まま者であったが、千葉先生の時間は、一度でもおろそかにしたことはなかった。この時間中だけ、平常妙に表面的に、形式的に扱われている人間と云うものが、真個に生き、意慾し、活動する生存とし、左右から見られ、切り下げられ、探究されるよろこばしさは、例えるに物がなかった。
心理学と云う学問そのものが珍しかったことは争えない。然し、千葉先生は、学問の講義のうちに、実に多くの暗示を含ませて人生と云うものを考えずにいられない刺戟を与えられたのである。
その時分から、私はまるで背低くであったので、級では一番前列に席がある。
右手の扉から、先生が軽い大股で、ノートを左手《ゆんで》に入って来、教壇に立たれる。私は、心をこめ、求道者が師を礼拝するような心持で頭を下げた。そして、次第に熱中し、興にのって、講義して行かれる心理学概論を筆記する。
先生の教授ぶりは、熱があり、インテレクチュアルで、真摯なものであった。
黒板に何か書いたチョークを、両手の指先に持ち、眉間に一つ大きな黒子のある、表情の重味ある顔を、心持右か左に傾けながら、何方《どっち》かと云うと
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