かかる未開人の間においても、なお愛情が最後の決定をする場合がある、といっているのである。
人間の男女は、自然のままの表現としてはこんな発端で、愛情の永続を希う意志表示をして来た。そのような未開社会の男女の結合の間で、貞操などという言葉は思いつきもされなかった。同じくらいの好きさなら、同じぐらいいやでないならば、相手の男女が変ろうと、そのときどきの真心といつわりのない愛が示された。
万葉の歌の多くを見ても、そこに何と瑞々しく恋愛の思いがうたわれていることだろう。花になぞらえ、雲にたとえて、男女相愛の思いは、直接な感覚に迫ったあこがれとして表現されている。しかし、稚い社会にふさわしく稚かったそれらの古代日本人の心情は、同じように燃ゆる思いが、一人から又他の一人へとうつることをあやしまなかった。そのような事情がめぐって来たとき一時に二人の男女を愛することに虚偽も作為もなかった。子供らが、何人かの友達をもち、その一人一人と心をこめ、興をつくしてたわむれる。なかでは特別にすきな相手もある。男女の恋愛も太古はそれに似たあどけなさ、動物に近い天真さで表現されていたのであった。
社会進化の過
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