て貞潔がある場合、その自然さ、よろこび、平安の深さは、人間の男女が感ずるすべての愉悦のなかで最も諧調にとみ、創造の魅力に満ちていると思う。
純潔ということも相対的で、愛するものに対してだけ保たれるべきものだという考えかたがある。では、自分にまだはっきりした愛の対象がない場合、その人が守るべき何かの清純というものはあり得ないのだろうか。貞潔ということは、一面から見れば、その人々の人間的な趣味のよさにかかっているとさえいえる。最も野生な人間は、食えるものは何でも食う。最も非人間的な男女は人間らしさを放棄した性へ還元して、両性関係を生きる。真実に自分を一個の社会人として自覚し、歴史のなかに自分一生の価値を見出そう、生きるに甲斐ある一生を送ろうと希う男女であるならば、どうして、わけもなく、とび散る花粉のような恋愛に自分をよごすだろう。衣服の色、モードに対してさえ趣味による選択のある人間が、どうして最も複雑な愛の対象に、独特な選択がないといえよう。わたしの色、というものがあるからには、私としての愛があるこそ当然と思える。わたしの考え、わたしの生きかた、そして、わたしとしての不屈なる献身というも
前へ
次へ
全12ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング