洗われるのだ。そして軽々と「果」を超える。只一点に成るのだ。
昔小学校で送った幾年かの記憶は、渾沌としている。其の渾沌の裡に只三つ丈光った星座がある。私と、愛弟と或る青年の先生とである。
其時分、先生はもう大人だと思っていた。十二三の自分は、理性と感情との不均斉から絶えず苦しんでいた。恐ろしく孤独だった。世界が地獄のようであった。そして、今年十九に成った愛弟は、まだ純白な小羊であったのである。
その先生の夢を思い掛けず此間の晩に見た。先生は昔のように細面な、敏感な、眼の潤うた青年で居られた。するとその翌朝故国から来た弟の手紙が、計らずもその先生の断片的な消息を齎して来た、私は生れて始めて、此丈符合した夢を見た。人が呼ぶ偶然の裡には不思議がある。
考えて見れば、大人だと思っていた先生も彼の頃はまだ真個の青年で居られたのだ。恐らく今の私よりもっと多分に「五月の日光」に浴して居られたのだろう。
先生は Romantist であった。感情的な自分もそうであった。土偶《でく》のように感興の固定した先生の群の中で、彼の先生だけが生きた先生に思った。愛すべき青年の先生は私の前で英雄と神と
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