追慕
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)凝《じっ》と

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)此頃|漸々《ようよう》有るべき発育を遂げたらしい

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ひた[#「ひた」に傍点]と瞑ぢて
−−

 今日は心持の好い日だ。
 空がくっきりと晴れ渡って、刷き寄せられるような白雲が、青い穂先の楡の梢を掠めて、彼方の山並の間に畳まって行く。
 凝《じっ》と坐って耳を傾けると、目の下の湖では淡黄色い細砂に当って溶ける優婉な漣の音が、揺れる楊柳の葉触れにつれて、軽く、柔く、サ……、サ……、と通って来る。心持のよい日だ。
 私の周囲を取繞く総てのものは、皆七月の太陽を身に浴びて嬉々として輝やいている。田舎らしい単純と、避暑地のもつ軽快な華美とが見えない宙で溶け合って、一種の氛囲気を作っている此処では、人間の楽しい魂が、何時も花の咲く野山や、ホテルの白い水楼で古風なワルツを踊っているような気がする。
 濃碧の湖には笑を乗せて軽舸が浮く。街道の古い並木の下では赤い小猿が、手提琴の囃子につれて、日は終日帽子を振る。銀灰色の猫の児は今日も私のポーチで居睡っているだろう。
 周囲は陽気で健康で、美しい。けれども今日は心が淋しい。重い苦しい寂寥では無い。今日の空気のように平明な心が、微かながら果もなく流れ動く淋しさである。
 隅から隅まで小波も立てずに流れる魂の上に、種々の思いが夏雲のように湧いて来る。真個《ほんと》に――。考えではない、思いである。
 歌を詠みたい。けれども私に歌は出来ない。其故斯うして散文を書いて見る。今の私の心持には、此の散文も詩に近いような思いの律動を以て浮んで来るのである。

 魂が洗練されない事は恐ろしい。人にも、自分にも沢山の見える見えない悲劇を与える。自分の為に或る幾つかの魂が苦しみ、歎き、沈黙の忍従に頭垂れていても、知らなければ解らない。無智は不明は、敵意の無い挑戦者である。
 魂の深みを顧みて見ると、そういう風な悔恨を沁々と味わずには居られない。
 此は決して郷愁がさせる業でもなければ、感傷主義の私生児でもない。其は確だ。一つでも、その半片でも、人間が受けている、或は受けなければならない苦難を知ると、その一点を中心として四囲に発散している種々の光彩を見
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング