え出来なかったけれ共、実にちゃんと並んである字の下に赤や青の線が随分沢山ついて居るのは全く解せない事であった。
まして、切角白くしてある所へゴチャゴチャと汚ない程種々なものが書きつけてあるのを見ると私はすっかり喫驚して仕舞った。
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「お叔父ちゃん、
随分いけないわねえ此那に御本よごして……
先生に叱られない?
[#ここで字下げ終わり]
彼は只笑いながら頭をポトポトと叩いてくれた丈で私の大疑問は解決されないで終った。
けれ共私は羽根のある可愛い自分がお伽噺で読む通りの子供達の群や天に昇って行く美くしい人々の絵を見ると、今まで読んだ沢山のお話が皆実現されて来る様に感じた。
或時は自分自身の肩からスクスクと羽根が生えて、多勢の人達の歌ったり踊ったりして居る大変面白そうな国まで飛んで行く事を夢想したり、子供の頭から皆光りが差して居るので自分のは如何うかと思ってソーッと鏡を見ると只黒い小さい頭がある丈なのに非常に失望した事もある。
其等の空想的な宗教画は少なからず「私のお話」の材料になるに益だって、折につけて口から出まかせの私独りのお話は前よりも数多くなりより架空的になって行って、此れまで此上ないものとして読んで居たあたり前の人間と人間が「けんか」をしたり戦をしたりする丈のものは非常にあき足らなくなって来た。
魔法のお婆さんはより歓迎され、一寸目ばたきする間に大きな御殿を作れるお姫様が待ち迎えられる様になったのである。
私は彼に種々の御話をきかせた。
どの様なものも皆彼を喜ばせたらしかったけれ共、何か一つでも悪い事をした者は必ず何処かで、
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「神様御免下さい、
もう致しません。
[#ここで字下げ終わり]
と云わなければ其の話は終りを告げる事は出来なかったものである。
彼が中耳炎を起したのは帰って半年立つか立たない時であった。
大学に入院して切開して貰ったのだけれ共、後から聞くと、自分は斯うやって死ぬ運命を与えられて居るのだから病院へ等入って、終るべき命を無理算段で延して置く事は望まないと云ってなかなかきかなかったそうである。けれ共私の母や親類の者は気を揉んで、散々説きすかして子供をあやす様にしながら入院させたそうである。
そして、手術室に入ろうとした時、他の人の手術をされた血だの道具などが凄い様子で取り散らしてあるのを見たら気が遠くなって成って行く様な、忽ち自分自身の命が気遣われ出したと後は死ぬまでよく繰返し繰返し云ったと云う事も聞いて居る。
叔父が入院して居る間中動けない時には毎日毎日欠かさず一度ずつは学校から帰ると先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐお見舞に行くのが常であった。
どんな病室であったかまるで覚えては居ないが、何でも入口から室までの廊下が大変長く静かで、両側の白壁に気味悪く反響する足音におびやかされて、中頃まで来ると、馳け出さずには居られない気持になったのを思い出す事が出来た。
うっすり思い浮ぶ彼の室は非常に狭い廊下の突きあたりから二番目の灰色の扉の付いた部屋であった様だ。若し間違えては否ないと云うので、戸の傍に掛って居る札の自分に読める名字を確かめてから看護婦のする様にコツコツと拳で叩いてから大人になった様な心持で入って行った。
その部屋へ行く途中の手術室の前を通るときに、チラチラ見える人影や何かに好奇心を動かされて、のぞきたいと思いながらこわくて止めた事は幾度だか分らない。
今でも好きな病院特有の薬臭さが其の頃から気持よくて、出入口に一歩足を入れるともう軽い興奮を覚える様であった。
殊に彼の明るい天井の手術室の辺に漂うて居た消毒薬の香いは、今でも此の鼻の先に嗅げる程はっきりした印象となって残って居るのである。
或る大変吹き降りのする日に、学校から帰ると母の止めるのもきかずに合羽を着小さい奴傘を差して病院に出かけた。
多分独りだったと思う。
まだあんなに道路の改正されない間の本郷の大通りは雨が降るとゴタゴタになって今では想像もされない程ひどい路であった。
ころばない要心にどんな大雨でもそれより外履いた事のない私の足駄――それは低い日和下駄に爪皮のかかったものである――では、泥にもぐったり、はねがじきに上ったりして大層な難儀をしなければならなかった。
小一時間も掛って漸う赤門の傍まで来た時、車をよける拍子か何かに、引ったくる様にして持って来たリンゴを風呂敷の包み目から二つ程、ドロンコの中にころがして仕舞った。
どんな工合にしてそれを持って行ったか覚えないが、とにかくどうにか斯うにかして病室にたどり付いて、母に教えられてある通り猫の様にカタリとも云わせずに戸をあけて入ると、叔父は薄目をして、
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「おようか。
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とぼやけた声で云った。
「おようさん」と云うのは叔父の妹で真に好い人であったが若くて死んだ人である。
此の叔母ちゃんに就ても私は種々な思い出を持って居る。
けれ共、じきに叔父は私だと云うのを知って、大変によろこんで呉れた。
雨が降るから来まいと思って居たのに大変強い児だとか、左様云う心を持って居るとどうだとか種々云いながら、私の気の毒そうに出した泥団子の様なリンゴを見ると、いきなりそれを握って、
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「有難う、
ほんとにありがとうよ。
何よりも嬉しい。
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と云って、いつもの様に目を上に向けてお祈りを仕始めた。
だまって傍に立ってそれを見て居た私は、何とも云えない感情が胸一杯に湧き上って、大声を上げて泣きたくて泣きたくて、どうにも堪えられない心持にさせられて居た。
彼の時の息がつまる様な胸が痛い様な苦しい感じは今でも私の心にはっきり戻って来る事がある。
私は喜ばれて嬉しかった。
けれ共泥リンゴが何故その様に好い物であるかは分らなかった。
私は種々考えたし聞きたいとも思ったが、この事は只自分丈の思い、喜ばれて居る事で他の人に云うには惜しい事だと云う様な心持になって、つい誰にも母にさえも話さなかった事である。
叔父の寝台の傍で聞いた宗教的な種々の話は実に沢山であった。
アダム、イブの話。
ノアの箱舟。
クリストの子供の時の話。
Babel の塔。
其の他種々の話を、彼は我々が日常の出来事に対して云う通りな静かな事実を有りのまま物語って居る様な口調で話した。
子供にお噺だと云う感じを一寸も持たせなかった程、真面目に深重な様子であったので、私は彼の言葉のままに世界を作り無花果を食べ、大きな石を積み上げ様とする人民になりすまして居た。
そして、まるで心をその事々に奪われた様になって、枕をかついで、
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「あー高くなったねえ、
今度は何か上げ様、
石かえ、
聞えませんよそいじゃあ駄目だ。
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等と叫んだり、自分が蛇になって二人の弟のアダムとイブに、
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「貴女そりゃあ美味しいのよ、
おあがりなさい。
神様がけちんぼうだから食べるなっておっしゃるのよ。
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等と云うので母に心配がらせた事も少くはなかった。私があんまり空想的な想像にばかり心を支配されて居る事を母は案じたのである。
その数多い話の中で一番私を喜ばせもし又自分の何も知らない事を悲しませたのは、ノアの洪水の話であった。
私は生れて一度も大水を見た事はない。
それだのにどうして世界中の滅びる様な洪水を想像出来様。
けれ共、大きな箱舟の中に牛だの馬だの鳩だのと一緒に世界にノアがたった一人決して死なずに、今日も明日もポッカリ、ポッカリと山を越したり海だった所を渡ったりして行クと云う事が、無性に羨しかった。
どんな偉い王様も、獣も皆溺れるのにノアだけ生きて広い世界中を旅行すると云う事は何と云う幸な事であろう。
若しお叔父ちゃんの話す様に神様は偉いなら、お願いさえすればきっと自分もノアにして下さるだろうと云う事を思わない訳には行かなかった。
そうなったら、彼の本と彼のオルガンとお母様、お父様、くんちゃん、みっちゃん、誰と誰を皆連れて行ってあげ様などとさえ思った事があった。
此の時分に私は神様と云う事を度々きかされた。
そして、漠然と神様があるのかもしれないと云う事を感じる様になったけれ共、悪い事をすると好い所へつれて行って下さらないと云う神様と、美味しいお菓子や御飯を下さる神様とは、どっちがほんとうの神様かしらと思い迷うた事が決して一度や二度ではなかった。
その様な風であったから、神様を有難いとしみじみ思う事も出来ず、彼の希望して居ただろう様な、宗教的感化を受ける事は殆どなかったと云ってよい位であった。
けれ共、彼の心の中には、いつとはなしに私を自動的に宗教的な生活を望ませる様に仕度いと云う願いもあった事はかなり確かな事である。
今日まで彼の居なかったと云う事は、私の生涯に意味のある事である。
若し彼が今日まで居、私も又今通りに生育して来たものとすれば、彼と私との間には互に辛い争闘を起さなければならなかったろうし又小さかった時分の種々の思い出に苦がい涙を味わせられた事であったろう。
私は正直に打ちあける。
彼の日の彼の時に彼が去ったと云う事は互のために誠によい事であった。
私は今彼に久遠の愛情を感じ、彼によって与えられた静かな愛を心の裡に保ち続けて居られる。
二つの霊の交通は彼の時の純なまま愛に満ちたまま何物にも色付けられる事なしに、墓に入る日まで私の胸に響き返る事が出来るのである。
大変深く切った疵も少しずつなおりかけて来ると、独りでボツボツと食べる病院の飯は不美味いと云ってはお昼頃大きな繃帯で印度人の様に頭を包[#「包」に「(ママ)」の注記]いた叔父がソロソロと帰って来る様になった。
その頃は長かった髪も頭の地の透く程短かく散斬りにし、頬の肉が前より一層こけたので、只さえ陰気であった顔は一倍凄くなった。
黒っぽい木綿の着物に白い帯をした彼が、特別にでも自分だけは粗末な品数の少ない食卓にしてもらって、子供達の話や母の慰めを満足したらしく聞きながら、一口ずつ噛みしめて食べて居た様子がありありと目に浮ぶ程である。
或る日いつもの様に庭木戸の方から入って来た彼は、縁側にドサリと腰を下すと持って来た杖がころがったのに耳もかさず、妙にソーケ立った様な顔をしてだまって溜息を吐いて暫くしてから、
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「余程弱ったものと見えて今日は来る道に目が廻って仕様がなかった。
高等学校の角で三十分もしゃがんで居た。
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とさもげんなりした様に云った。
此の時位私の心に彼に対して憐みの湧いた事はなかった。
今までは叔父と云えばどうしても自分より偉く強く、どんな時でも困る苦しい事はない人だと云う様な気がして居たのが根底から引っくり返されて仕舞ったのである。
彼の棒を並べた様な垣によっかかって、人の足元の塵を浴びながら叔父ちゃんが苦しがって居るのに、沢山通る人の一人もどうしたのかと云ってさえ上げる人はないのか。
何と云うひどい人の集まりだろう。
何故自分が行ってそんな悪い人達を睨みながら大切にお叔父ちゃんを連れて来て上げなかったろう。
私は自分自身の手ぬかりの大いさに苦しめられると共に「悪い大人共」に対する憎しみで体が震える様であった。
そして彼に対する大人らしい同情が一層愛情を強く燃えたたせて、彼の味方は世界中に自分がたった一人有るばかりだと云う肩の折れそうな責任と誇りを感じたのであった。
その時から私の知って居る以外の大人共は非常に減ぜられた価値を持って私の前に現われて来たのである。
其那事があってからじきに叔父は家に帰って来た。けれ共頭の繃帯は少し薄くなった丈で常に気分が悪そうに悲しそうであった。
時には、やつれた髭の長くなった頬に止め度なくボロボロと涙をこぼしなが
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