追憶
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)漸《ようよ》う
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「涯のつくり」、第3水準1−14−82]
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二日も降り続いて居た雨が漸《ようよ》う止んで、時候の暑さが又ソロソロと這い出して来た様な日である。
まだ乾き切らない湿気と鈍い日差しが皆の心も体も懶《だ》るくさせて、天気に感じ易い私は非常に不調和な気分になって居た。
一日中書斎に座って、呆んやり立木の姿や有難い本の列などを眺めながら、周囲の沈んだ静けさと、物懶《ものう》さに連れて、いつとはなし今自分の座って居る丁度此の処に彼の体の真中頃を置いて死に掛った叔父の事を思い出して居た。
私が七つの時に叔父は死んだ。
そして其の死は極めて平凡な――別に大した疑問も多くの者が抱かなかった程明かな病名と順序を持ったものであった。
彼は悲しまれ惜しまれて丁寧に葬られた。
けれ共十年立った今では死んだ者の多くがそうである通りに彼の名も彼の相貌も大方は忘られて、極く稀に兄弟や親族の誰彼の胸に「昔の思い出」として淡い記憶の裡に蘇返るばかりである。
其故只一年位ほか一緒に居なかった私而かもまだ小学に入った許り位の私にとって彼の現れそして去った間の事には、新たな涙を今も流す程の事として残されては居なかった。
それは当然の事として去年あたりまでは過ぎて来て居たのである。
けれ共此頃になっては、何かにつけて思い出す三十二三の彼と私との間に織られた記憶の断片が種々な点で私にとっては忘れ難いものになって来た。
其の原因が何であるか私は分らない。
又分らせ様とも仕ないけれ共、漸う育ち掛けて来た感情の最大限の愛情を持って対した私と、宗教的に馴練されたどちらかと云えば重苦しい厳粛な愛情を注いで居た彼との間に行き交うて居た気持は、極く単純ではあったにしろ他の何人の手出しも許されない純なものであった事を思い出す。
私は両親に対してより以上の愛を彼に捧げて居た。
彼の死の二三日前まで一刻も私は離れて居た事がなかった。
彼の影の様に暮して居た私は今になって暫くの間弱められて居た彼へ対しての愛情がより種々の輝きを添えて燃え出して来た事を感じて居るのである。
誰でも多くの人はその幼年時代の或る一つの出来事に対して自分の持った単純な幼い愛情を年の立つままに世の多くの出来事に遭遇する毎に思い浮べて見ると、真に一色なものでは有りながら久遠の愛と呼び度い様ななつかしい慰められる愛を感じる事が必ず一つは有るであろう事を信じる。
彼はその私の久遠の愛の焦点であった事を断言する事が出来るのである。
彼は私の親族中只独りの宗教家であった。
而かも献身的な信仰を持って居た人であったので、周囲の者の目には様々な形に変えられて写り記憶されて居るで有ろうけれ共私に対しての彼は常に陰鬱に深い悲しみが去らない様な態度を持って居る人であった。彼の目は大きい方ではなかった。
けれ共其の黒い確かな瞳には力が籠って居て多少人を威圧する様な、しっかり自分の立ち場を保って動かされない様な感じをさえ持って居た。
青黒く肉の薄い顔。
高い額の下に深い陰を作って居る太い眉。
重々しい動作と低くゆるゆると物を云う声。其等は彼特有のすべての表情を作って居たらしく――人の話に依れば確かに一度見れば忘れない印象を与えるそうだったが、私に対しては記憶の裡の叔父の顔と今生きて居る或る盲目に成ろうとして居る男との顔が混同して、宙に顔の細かい部分部分まで思い浮べる事は非常に難かしい事なのである。
其の男の顔中に漲って居る底奥い沈鬱さと色が大変よく叔父に似通って居るからなのである。
一番思い出さるべき顔の様子までその様に自分のものは不明瞭であるから、これから書いて見様とする種々な時に起った様々な事柄の互の間には何の連絡もなく、理由も時間も明かでない事の方が多い。
また彼の死ぬまでの経歴等と云うものも私は云う積りではない。
私は只、私と居た一年足らずの間に私の稚い記憶の裡に生き死にをした彼に――私の愛した叔父に会おうとするのである。
長らく米国に居て宗教の研究をして居た彼は突然何の前知らせもなしに帰朝した。
此の不意の出来事には、彼地で家庭を持ち死ぬまでを暮す積りで居るのだと予想して居た多くの者共を非常に喫驚《びっくり》させた。
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「まあよくお帰りになった。
[#ここで字下げ終わり]
と云う一句は実に種々な意味を以て囁かれたのであった。
彼は只帰り度く成って帰ったと云っては居たけれ共今思えば――それは非常な憶測かも知れないが――只単純にそれ丈の理由であったろうとは思われない。
何故なら彼は暗示を受け得る人であったと云う事を父は屡々話す事が有るからである。
勿論暗示を受けると云う事は宗教家にのみ与えられる特典ではない。
けれ共彼は当時英国に居た私の父の所へ便りをする毎に、「水に入ると必ず危険が起る」と云う暗示を受けたからと云う注意を忘れなかったそうである。
父は唯一人の弟の好意を拒む理由も持たなかったし、又「神を試みる」には年を取り過ぎて居たので云う言葉通りに守って居たと云う事がある。
其れ故彼が自分の死の近いのを感じて生れた国に帰って来たのではなかったかと云う事が思われる。
兎に角彼が皆の驚きの裡に帰って来て間もない日の事であった。
其の時分父が洋行して長い留守中だったので、思い掛けず此の叔父の帰宅した事はどの位私にとって嬉しい事で有ったか分らない。
私は喜びで夢中になった。
そして、朝から晩まで肩にすがったり、手にブラ下ったりしながら、海のむこーに在ると云うまるでお話の様な国の話に聞きほれて居たので、朝からお昼まで学校のかたい机に向って居るために彼と分れなければならないと云う事は実に此上ない悲しい辛い事であった。
私は学校へ行かないと駄々をこねた。
最う知って居る事を習いに学校へ行くよりお叔父ちゃんのお話の方がためになると理屈を並べたけれ共とうとう叔父が学校へ迎に来て呉れると云う約束をして貰って出掛ける事になった。
私は行く道から帰りの事を考えて居た。
そしてそれからの三時間がどれ位ノロノロと馬鹿らしく立って行った事か。
先生のお辞儀が済むと狭い出入口で前の子を押しつける様にして馳け出して見ると、いつも女中の立って居る所に今日は約束通り叔父が笑いながら待って居てくれた。
私は笑み崩れながら跳び付いた。
そうすると叔父は私の頭を押し叩いてくれた。私の満足は頂上に達して踊る様に歩き出そうとすると、今までの様子を傍に立って珍らしそうに見て居た私よりズーット大きい男の子はいきなり賤しいかすれ声を立てて、
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「ヤーイ、ヤーイ、チャンコロヤイ
男の癖に髪を長くして居やがらあ。
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と云うと赤んべーをしてどしどし逃げ出した。
私は非常に驚いた。
そして間誤付きながら叔父の顔を見ると、子供ながら動かされた程だまって逃げて行く子供の方を見守って居る彼の顔は悲しそうに又厳かであった。
私は心配であった。
けれ共今まで気が付かずに居た叔父の髪の長い事を知ると非常に好奇心を動かされて、高い処にある彼の頭を眺めた。
其処には実に奇麗な――ああちゃんのと同んなじ様だと思った程の光った髪の房が肩の上まで下って居た。
私が目を大きくした位それは立派だった。
素直で厚くて重そうでお飾りの様であった。
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「何て好んだろう。
まあほんとに奇麗にそろって光って居るんだろう。
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左様思うと私には、男の子が罵った理由がまるで分らなくなった。
何故男の人は髪を長くしては可笑しいのか。どうしてチャンコロになるのか。
私は自分の大切な者を悪く云われた口惜しさが胸一杯になった。
けれ共彼はだまって私の手を引いて歩き出した。
私はどうかして泣くまいとして口を引き歪めたり、しかめ顔をして堪え様とした。
私の周囲には泣き顔を見られたくない沢山のお友達が居たからである。
が、とうとう堪えられなくなって一粒涙がこぼれ出すともう遠慮も何もなくなって私は手放しの啜り泣きを始めた。
手を握って居ながら叔父はまるで別な事を考えて居るらしかった。
彼は一層陰気な顔になってうつむきながら私を慰め様ともすかそうともしずに歩いた。
泣きじゃくる私と、考え沈む彼とはお寺の多い通りを多勢の子供達の驚きの的となりながらのろのろ、のろのろと、動いて行ったのである。
泣きながら私はぼんやりと大変お天気の温かな事を感じて居た。
外には雨が降って居た。
そして昼であった。
只それ丈が分って居る丈でどうした訳でその様な時に叔父が床に就いて居たのかまるで分らないが、私はその傍にゴロンところがって足をバタバタ動かしながら種々な事を話して居た。
――大変にその室が暗かったから多分雨でも降って居たのだろう。
私は種々喋った末何の気なしに甘えた口調で友達の一人が自分を酷めて困る事を告げ、或る慰めと同意をかすかに期待しながら、
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「ほんとうにいやな人なのよ、
私憎らしくって仕様がないわ。
[#ここで字下げ終わり]
と云うと、思いがけず私の延して居た腕に飛び上る程の痛みを感じた。
ハット思った心が鎮まると漸う私は彼に抓られたのだと云う事が分った。
私の云った事が此れ程の報酬を受けなければならない程大変悪い事であったろうとはどうしても思えなかったので、すっかり怯えた心持に成って仕舞った。
自分の大切に思って居る人から叱られる事は私には一番たまらない事である。
もう先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐにも逃げ出し度い様になりながらも、左様しては悪いだろうと云う遠慮が起って非常に途方に暮れた心持になった事があった。
此の一事は私の無遠慮な言葉に制限を与える様になった。
それから後は、彼に何か話す時今まで感じなかった様な用心深さと緊張が胸一杯になって、彼に「何でも喋る」と云う打ちまかせた態度から僅かながら遠のかせられた。
此の事を思う毎に若し私が十年立つ今まで、彼と一緒に、少なくとも折々は会いもし口も利く生活をして来たら、かなり有りのままに自分自身を表わして居る私の今の生活がどの様に変化させられただろうと云う事を興味深く考える。
私がクリスチャンになって居た事丈は恐らくどっち道間違い無い事であったろう。
左様でなく終った事は私にとって不幸であったか幸福であるかは分らない。
彼は朝から晩まで大抵は自分の部屋に閉じこもって本の裡に暮して居た。
其の時分は、今私の書斎になって居る陰の多い、庇が長い為に日光が直射する事のない、考えるには真に工合の好い五畳が空き部屋になって居たので、其処がすぐ「お叔父ちゃんのお部屋」に定められて居た。
非常に砂壁の落ちる棚の上だの部屋の周囲にはトランクから出した許りで入れるものもない沢山の本が只じかに並べてあって、鳶色をした薄い同じ本が沢山荒繩にくくられてころがって在ったりした。
その鳶色の本を今見れば彼が非常に苦心して出版した『神の大いなる日』と云う書籍の残本であったのだけれ共、その時分の私には只「同じな沢山のご本」と丈ほか見えなかったのである。
「お叔父ちゃんの御本」は皆テラテラした紙に面白い絵の沢山書いてある好い香いのするものであった。
赤や青や時にはほんとに奇麗な金や銀の表紙の付いて居る其等の本は、灰色の表紙と只黒い色でポツポツと机や枝のしなびたのが付いて居る教科書よりどれ位子供心に興味を持たせ読み度いと思わせるものであったか分らない。
どんなにか面白そうであった。
けれ共皆悲しい事には英語で、私の読める片仮名と平仮名ではなかったので只の一字も感じる事さ
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