ないが――只単純にそれ丈の理由であったろうとは思われない。
 何故なら彼は暗示を受け得る人であったと云う事を父は屡々話す事が有るからである。
 勿論暗示を受けると云う事は宗教家にのみ与えられる特典ではない。
 けれ共彼は当時英国に居た私の父の所へ便りをする毎に、「水に入ると必ず危険が起る」と云う暗示を受けたからと云う注意を忘れなかったそうである。
 父は唯一人の弟の好意を拒む理由も持たなかったし、又「神を試みる」には年を取り過ぎて居たので云う言葉通りに守って居たと云う事がある。
 其れ故彼が自分の死の近いのを感じて生れた国に帰って来たのではなかったかと云う事が思われる。
 兎に角彼が皆の驚きの裡に帰って来て間もない日の事であった。
 其の時分父が洋行して長い留守中だったので、思い掛けず此の叔父の帰宅した事はどの位私にとって嬉しい事で有ったか分らない。
 私は喜びで夢中になった。
 そして、朝から晩まで肩にすがったり、手にブラ下ったりしながら、海のむこーに在ると云うまるでお話の様な国の話に聞きほれて居たので、朝からお昼まで学校のかたい机に向って居るために彼と分れなければならないと云う事は
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