つだったか目黒へ行く時田端へ出る近路だと連れて行かれた処は、丁度私の記憶の中の彼の野原であった。
此の時私は訳もない安心で何となし心が軽々となった。
其処は、佐竹さんの所有地で道灌山のすぐ傍にあたる所であったのだ。
それから後屡々私は弟達と遊びに行った。林の奥では彼の時の様に小鳥が囀り日は同じ様に黄金色に光って居る。
筑波山の天狗は何時まで生きて居るだろう。
私と叔父が一緒に出たのは之が最後であった。
大変に悪くなったのは、十一月の二十五日の晩であったと覚えて居る。
大病人を抱えた家の中は皆足音を忍ばせながらも走って歩くほど混雑して居たので、只邪魔になるほか能のなかった小さい私は、弟共と一緒に一番奥の間に宵の口から寝かされた。
不安だと云うのでもなく、可哀そうだと云うのでもなく、家中のどよめきに連れて只ソワソワして居た私は、深く夜着の中にもぐって居ながら、遠くの足音にも耳をすませたり、一寸人が近くまで来ると、咳払いをしたりわざと欠伸《あくび》をしたりして専ら気の毒な自分が寝もやらずに居る事を知って貰おうとしたけれ共、誰一人障子に手を掛けて見様とする者さえなくって、自分
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