つけられたという、驚くべき例もある。
知足院の隆光とやらいう怪僧がまんまと大御台様を始め大奥ぐるみけれんに掛けて非道の御布令を出させたのも、結句は隆光の計画である。見い、あの悪くさげな僧姿を、高麗あたりからの牒者《まわしもの》がこの大和国を乱しに来おったのではあるまいか、等という流言は至る処に喧《かま》びすしかった。中でも例年献上品の重きをなしてた鷹を止めたのみならず、猟師を殺生の業として禁ぜられたことなどは豊作の乏しい藩にとってはこの上も無い痛手である。
たとい密々に方便はあろうとも、畜生に代えて人の命を軽んずる禁令は上下の憤懣《ふんまん》を起さずにはおかない。
絢爛《けんらん》たる当代の文明に対しては、余りに暗澹《あんたん》たる怨嗟《えんさ》の声は、遠い僻鄙《へきひ》の地にも絶えなかったのである。が、藩公の力ではいかんとも為し難い常軌を逸した大偉力の前に、諸侯はただ戦々|恟々《きょうきょう》として、ひたすら平穏に一日の過ぎることを祈ってるばかりである。ところが、いつとは無し藩中には、津軽の虫の巣御吟味という風説が立ち始めた。
誰も出所を知る者はない。が、その噂取り沙汰は、知らぬ者は無いほどの速さで、人の口から耳へ、耳から口へと語り伝えられたのである。
中には、何、ただの噂だろうと、さしたる注意を向けぬ者もあった。が、その風評は単に巷説に止まらず、事実津軽の城中では、それに就て事々しい評約が行われていたのである。
さてそれなら、左様に物議を醸した津軽の虫の巣とは、一体何をいうのだろうか。
津軽の虫の巣は珠である。ただ一|顆《つぶ》の輝やく珠玉である。蝦夷地交易品の目録の中には青玉と記るされているその別名である。晴やかな青紫の円い小珠は、滑らかなその面を日に透すと、渾然たる瑠璃《るり》色が、さながら瞳の底、魂の奥へまで流れ入る。
人々はその光彩を愛でて珍重したのである。
ところがこの青玉が、ただそれだけのものであったら何も面倒を惹き起さなかったのだが、珠は名に反かず、他の玉石の持たないものを持ってる。
津軽の虫の巣は、その融けんばかりの瑠璃色のうちに、必らず小さい白い泡沫《ほうまつ》を二つ三つずつ包み込んでるのである。それがまたいかにも見る人には可憐なのである。丁度何か名も知れぬ小虫が、涯《はて》知らぬ蝦夷の海の底深く、珊瑚の根元にでも構えた巣の
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