煙《のろし》が、南部三馬屋から仄かに立ち昇る。
 美くしい火の応答が、燦《きら》めく海を隔てて取り交わされる間に、一行は威儀堂々と、上の奥の城へその長い行列を大々しく繰り込むのである。
 かようにして、御帰城になる殿様と奥に戻って来る江戸の風聞は、留守居の者共に絶大の期待を与えているのは、言わずもがなのことである。
 直接国政とは何の関係も無いいわゆる「女子供」は勿論、正直に言わすれば若士の大多数にとっても、当時彼等の憧憬の的である江戸の土産は、重大な価値を持っている。
 まして世は、繁栄はこれが頂上で有ろうという元禄である。
 俄に勃興した江戸歌舞伎の、心を嗾《そそ》る団十郎の妙技、水木辰之助の鎗踊、それに加えてさらに好事家の歎賞を恣《ほしいまま》にする師宣の一枚絵は、たとい辺土とは言いながら、津軽の藩中にもその崇拝者を持っている。
 良人の留守を守って、心怠りの無かった女達が、私に与えられる南蛮渡りの象牙、珊瑚《さんご》珠、天鵞絨《ビロード》の小帯を、仄暗い燈台の陰で人知れず眺める喜びと、一蝶の戯書《ざれがき》を同好の士に誇る老臣の喜悦とは、その間に必しも大小はない。
 当座は、身柄相当に四辺を潤おす土産話に、冬近い北国の城下はときならぬ陽気に蘇返った賑いを見せたのである。
 けれども、やがてはそれも耳古りて来ると、今迄どこかの隅に逼塞していた、江戸表の噂も、こんどは施政の是非が人々の口に喧しく批評されるようになって来た。
 それも在り来りのお家騒動やお白州事ではない。
 お大名の間には、由々しい大事として、目下取沙汰されている当代綱吉公の、生類|憐愍《れんびん》のことに就てなのである。

        二

 始め、天資英明の聞えが高かった綱吉が、彼の初政に布いた善政は、長く諸人の胸に留まっていたので、生類憐愍の令も、或る程度まではいくらかの同情をもって、寛容に観られていたでもあろう。
 しかし、歳を経るに従って、法令は益々出て益々奇怪至極なものとなって来た。
 たとい公方様のお達しとはいえ、僅か自分の怪俄で死んだ小猫一匹のために、歴とした武家一族が、八丈嶋へ遠嶋とは、余りといえば存外ではないか。
 また近くはつい先頃、江戸の小鼓では押しも押されもせぬ一代の名人観世九郎が、鬱晴らしについ何心なく羽田の沖に釣糸を垂れたばかりに、不愍にも船頭もろとも欠所遠嶋仰せ
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング