、異様に鮮やかな彼女の口元の印象をとめたまま、家に帰った。置手紙を見て、はる子はおどろいた。あれは、千鶴子が彼女のところへ来た帰りであったのだ。

 彼女の不思議な特色をもって、再び千鶴子の、あの自らを傷るような唇の表情が遠方から痛ましくはる子の感情に迫って来た。はる子はその為に幾日も苦しい思いを経験した。自分は本当に拘りない心になって千鶴子を迎えることが出来るだろうか。対等の気持では不可能であった。人世の鬼面に脅かされ心の拠《よ》りどころを失った若い女性に対するはる子の同情を押しひろめてのみ、千鶴子は容れられる。然し、千鶴子は折々微かでもそのような心持を含んで対されるさえ癪で、堪え難かったからあの手紙も書いたのではあるまいか。はる子は、終にいつまでか判らぬ沈黙を悲しく続けた。



底本:「宮本百合子全集 第三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第三巻」河出書房
   1952(昭和27)年2月発行
初出:「文芸春秋」
   1927(昭和2)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
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