そのように激しつつも、はる子に対しては、その寛大さや友情を認め感謝を示していたのであった。
 その心持に嘘はないとしても、はる子は、では当分来ない方がよかろうと、簡単に答えるしか仕方なかった。

 暑気が厳しい夏であった。食慾がまるで無くなるような日が風の吹きぬける家にいてもあった。或る朝、新聞と一緒に一葉のハガキが卓子にのっていた。
「忙中ながら、右御通知まで。小畑 千鶴子」
 逆に読みなおしたら、千鶴子の母の死去通知であった。東京に出て僅か二月になるかならぬで死なれた。――はる子は千鶴子を何と不運な人かと思った。彼女の不幸は内と外とからたたまって来るようだ。死んだ母という人も余り仕合わせそうでなく、気の毒に思う心持が沁み沁みあったが、はる子は手紙も供物も送らなかった。
 追っかけて手紙が来た。母という人は、はる子が来て呉れるのを楽しみにして、わざわざ別な茶器までとり揃え待っていたのに、と。母の死で打撃を受けている千鶴子の心持も察せられ、その文句も哀れを誘った。けれども、宣言的な前便については一言もふれず、じかに人情に訴える効果を見越したような運びかたは、はる子に落付けないのであった
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