、明るさ、暖かさをどの位低めていたか分らない。ゴーリキイ自身が想像し得なかった程度の作用を及ぼしていたと思われる。従って、クリム・サムギンという人物の詰らなさ。この人物が四十年のロシアの歴史の波と結びついている、その関係の受動性、謂わば無気力、或る面での歴史の波から個人的な穴の中への遊離は、私達に、作家とその日常生活とはかくも緊密なものであるという一箇の教訓として見える位です。一九三二年にモスク※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]へかえってから、ゴーリキイが「四十年」を書き続けられなかったということこそ自然です。作家として、ロシアの歴史、民衆というもの、新社会というものに対する心持の内部的組立てが変ってしまい、日常の感動が新鮮な脈うちで彼の正直な、老いても猶純な血液を鼓動させる裡で、ゴーリキイはソレント生活の気分の中で、考照し、追憶したロシア民衆を書いていたそれをそのまま続けられなくなったのは尤ともと肯けます。そして、ゴーリキイの芸術家としての生涯は、こうして「四十年」を書きつづけ得なく成ったことで、遂に健全にされ、ゴーリキイ自身、自分の全生涯の過程と蓄積とを改めて人類的な見地か
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