長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ
宮本百合子

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《》:ルビ
(例)筏《いかだ》

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(例)モスク※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]へ
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 作品をよんだ上での感想として、ゴーリキイが中篇小説において長篇小説よりすぐれた技術、味いを示し得ていることを感じるのは恐らくすべての読者の感想ではないでしょうか。もしかすると、短篇が更にそこに横溢している生活感情や色彩熱量などの点で卓抜であるというひともいないではないでしょう。例えば「二十六人と一人」「チェルカッシュ」などを愛読したひとは。
 ゴーリキイが、あらゆる点で豊富なテムペラメントを持っていたにかかわらず、極めて特色的ではあるが長篇作家として十分技術上の光彩を発揮し得なかったことは、興味深い研究心を刺戟します。最も基本的な原因は、ゴーリキイの作風が、自分の雰囲気で濃く描こうとする現実をつつみ込む性質であったからだろうと思われます。リアリストであり、客観的
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