岸をずーっと南に降る線、および鹿児島から北に昇って長崎へ行く列車など、実に閑散なものだ。窓硝子に雨の滴のついた車室にいるのは、私共と、大学生一人、遠くはなれて官吏らしい男が二人乗り合わせているぎり。海岸に沿うて、汽車は山腹を潜っては出、潜っては出、出た時にやや荒れ模様の海の景色が右手に眺められる。私共は、今日雨降りで却ってよかったと思った。南風崎《はえのさき》、大村、諫早《いさはや》と通過する浜の黒々と濡れた磯の巖、灰色を帯びた藍にさわめいている波の襞、舫《もや》った舟の檣《ほばしら》が幾本となく細雨に揺れながら林立している有様、古い版画のような趣で忘られない印象を受けた風景全体の暗く強い藍、黒、灰色だけの配合色は、若し晴天だったら決して見られなかったに違いない。
 長崎のステイションも、夜来の雨で、アスファルトが泥でよごれている。僅かの旅客の後に跟《つ》き、私共は漠然期待や好奇心に満ちて改札口を出た。赤帽と、合羽を着た数人の俥夫が我々をとり巻いた。
「お宿はどこです」
「お俥になさいますか」
「――ふむ――まだ宿をきめていないんだが、長崎ホテル、やっていますか」
「あすこはもう廃めま
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