もあろうかと思われる浦上天主堂の板の間の大柱の根に、薄穢く極りわるげにつくねられていた座布団どもの恰好を思い出すと、私の胸にはアナトオル・フランスの一つの物語が自然に浮んで来る。その題は、聖母の曲芸師。
浦上は、今長崎市から電車で僅三十分ばかりの郊外である。市中との間は、都会の外廓につきものの雑然さの中にある。私共は大浦の天主堂にいるうちに、天候が定ったらしいので俄に思い立ち、大浦停留場から電車に乗ったのであった。
終点から、細い川沿いに、車掌の教えてくれた通り進んだが、程なく二股道に出た。一方は流れに架った橋を越して、小高い丘の裾を廻る道、一方は真直畑を通る道。何しろ烈しい風の吹きようだ。真正面から吹きまくられて進むことは、二人とも寸時も早く免かれたい。彼方から女学校一二年らしい少女とその弟らしい子が連立って来かかった。私はすぐ、
「天主堂へは、どっちの路が近いでしょう」
と訊ねた。少女は、困った表情で私を見、自分の弟の顔を見た。
「さあ――私存じませんが……」
が、頓智で、
「御堂ですよ」
と、註釈を加えた。――少女は育ちのよい娘らしく、わだかまりない容子で、
「ああ、御堂!」
と叫んだ。御堂なら、橋を渡った方が近いのだそうだ。
赤土の泥濘を過ぎ、短い村落の家並にさしかかった。道のところどころに、雨あがりの大きい泥たんこが出来ている。私共二人、もう行手の丘の上に天主堂の大きく新しい城のような建物を望み何心なく喋りながら、一軒の床屋の前に通りかかった。床屋の前の床几に五六人、七つ八つから十三四までの男の子が集っている。ちょうどあった泥たんこを、私共は左右によけて一二歩歩いたと思うと、不図背後で何か気勢がした。Yが反射的に後を振かえった。私も。子供を背負った一番大きい男の子が急いで床几に戻った刹那であった。Yの靴下から、服、ケープの肩のところまで、泥の飛沫が一杯ついている。Y、つかつか床几の処へ行った。
「何した」
「――」
「こんな悪戯する奴があるか」
悪童は、すっぱりと一つ喰らわされた。Yの洋装に田舎の子らしい反感を持ったのと、手下どもに己を誇示したかったのとが、偶然この少年をして「殴られる彼奴」にした原因だ。帰り、天主堂の坂下にその少年、他の仲間といたが、Yを認めると背中に括りつけられた隠し切れない旗じるしをひどく迷惑に感じるらしい。何とも曖昧な薄
前へ
次へ
全15ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング