った風の古びかただ。長崎のは湿っぽい。先ず黝《くろ》ずみ、やがては泥に成るというように感じられる。重い。そして、沈鬱だ。
昨夜深更まで碁を打っていた隣室の客、もう朝飯を食べている声がする。Y、切なそうな顔つきで枕についたまま、
「――あなた一人で行って」
と云う。私が服装を整えたり、食事をしたりするのを、片寄せた床の中から、風邪引きの子供のように眺めた。
「こんなものさせるから、痛い目をしたり不愉快な思いをする――と、じゃ誰もしないじゃないの」
「――我慢していらっしゃい、いい子だから。大|痘痕《あばた》になるところを助ったんじゃあないの」
これは、種痘問答である。私共は別府にいる時既に知人から流行の天然痘予防の注意を受けていた。臼杵へ行くと、そこでは全町民強制種痘をしたという。まして、長崎へ行くのなら危険此上ないというK氏の言葉で、計らず臼杵町費の一端を掠め、S氏の種痘を受けた。私のは一日痒くそれきり。Yのは、吸収がよく怪しいと思っていると、十四五年ぶりの植疱瘡では無理もない、鹿児島の市を歩いている頃からそろそろ妙になって来た。Y、繃帯の上からたたきながら「大丈夫、何でもない、ね、ね」と気休めを求めていたが、昨日は気分悪く、目が醒めたら発熱していた。K氏からの紹介で、長崎図書館長、永山時英氏を訪ねる予定なのであった。私は独り俥で出掛けた。
図書館は、諏訪公園の中に在る。グラント将軍が来朝した時建てた交親館を改造した小ぢんまりした建物だ。館長室に故渡辺与平の油絵と、同じ人の墨絵の竹の軸がかかっていた。永山氏は、長崎史研究者として知られている。その節、永山氏も云われたことだが、長崎は、日本文明史に重大な関係を有す特別な都市でありながら、未だ博物館を持っていない。種々の研究材料は、切支丹に関するもの、海外貿易に関するもの、その他、皆散在している。舶来された芸術品など、極めて立派なものが箇人の蔵にしまわれている由。それ故、長逗留をし、縁故を辿って気永く研究しようとする篤志家は兎も角、私のように貧しい予備知識と短い時間しか持ち合わせず、而も、過去の長崎が経験した文化史的活動の実証を一瞥したい者は、永山氏を訪問するらしい。その数は一年を通算すれば決して尠くないことも事実らしい。図書館は小規模の博物館を兼ねているのだ。豊富な資料を各箇人が持ち合わせながら、組織立った博物
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