やかな入海と、櫛比《しっぴ》した町々の屋根が展開される。
 今籠町の黄檗宗崇福寺へ行って、唐門《からもん》前の石欄から始めて夕暮の市を俯瞰した時、その心理的効果がはっきり感じられて面白かった。
 崇福寺は由緒も深く、建築も特別保護建造物になって居るが、私共の趣味ではよさを直感されなかった。京都の黄檗山万福寺と同様、大雄宝殿其他の建物を甃の廻廊で接続させてあるのだが、山端《やまはな》で平地の奥行きが不足な故か、構造の上でせせこましさがある。数多《あまた》の柱列を充分活かすだけの直線の延長が足りないとでも説明すべきなのか。京都の万福寺の建物では智的であり意力的な線の勁《つよ》さを感じたが、此方の建物から其感銘は受け難かった。時間がおそかったので、本堂の扉が住持が閉めたところであった。宝物は一つも見られず。千呆禅師が天和二年に長崎の饑饉救済をしたという大釜の前に立って居ると、庫裡《くり》からひどく仇っぽさのある細君が吾妻下駄をからころ鳴して出て来た。龍宮造りの楼門のところで遊んで居る息子を頻りに呼ぶ。息子は来ず、労働服をつけた男が家に帰るらしく石段をかたかた下から登って来た。唐門を入ったつき
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