遙に港内が瞰下《みおろ》せた。塗り更えに碇泊して居るらしい大きい二隻の汽船の赤い腹の周囲を、小蒸汽が小波立てて往来する。夕飯前の一散歩に、地図携帯で私共は宿を出た。彼此《かれこれ》五時頃であったろうか。
雨あがりだから、おっとりした関西風の町並、名物の甃道《いしだたみみち》は殊更歩くに快い。樟《くすのき》の若葉が丁度あざやかに市の山手一帯を包んで居る時候で、支那風の石橋を渡り、寂びた石段道を緑の裡《なか》へ登りつめてゆく心持。長崎独特の趣きがある。実際、長崎という市は、いつの時代にか到る処に賢く豊富な石材を利用したばかりで、すっかり風致に変化を生じた都会だと思う。木材を愛す日本人に比較し、その事業を完成したのは、所謂|唐人《とうじん》達の手柄であろうか。長崎の市を、何等史的知識なく一巡した旅客の記憶にも確り印象されるのは、この水に配された石橋の異国的な美や古寺の壮重な石垣と繁った樹木との調和等ではあるまいか。長崎には夥しく寺がある。その寺々が皆港を見晴らす山よりに建てられて居る。沢山の石段を自然に悠くり登り、登りきった処では誰しも一息入れたく成るだろう。其時人々の前には、眼界遙かに穏
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