程、心持の上でコスモポリタンになって居るのではあるまいか。生活を来るがまま、流るるがまま、都市として持つ古さの自覚さえ忘れて、生きて居るのではあるまいか。或、真似がたい鷹揚さと云えないこともない。京都や奈良が、決して自分の年功を忘れない老人のようなのと、興味ある対照と思う。
午後になっても、Y切なく、外出覚つかない。番頭、頼山陽の書など見せてくれる。折々、港の景色をぼやかして、霧雨がする。お喋りの間に、長崎の女性評が出た。
「ここの女の人は、鹿児島の女と随分違うわね」
「違う、違う。鹿児島の女の人、何だか皆頬ぺたなんか艷々して居るようで、活々して、笑いんぼらしいけれど、長崎の女の人はどっちかというと――さあ何て云うのか――」
「そうよ、私もそういう処が女中を見ても違うと思うわ。情が深いって云うでしょ――男の人達に対して鹿児島の女の人は割合さっぱり単純に快活で、どっちかと云うと頼りになる姉妹、母さんという感じ、ね。長崎の方は情人、或は妻的、違う?」
「其だけ、つまり性的に馴練されて居るわけだな」
「地理的関係もあるから、ね。昔のオランダ人なんかは随分、そういう長崎婦人の美点をエンジョウイしたらしいことよ。幕府では、オランダ人が細君を連れて来ることを、政策上許さなかったんですって。或人が折角夫人同伴で来たのに、上陸も許されないで直ぐ其船で追帰されなければならない悲惨なことがあったそうだけれど、出島の住人は、内心却って好《い》い位だったんですって」
「何故?」
「だって――貴婦人が来たら困っちゃうのよ皆」
第三日
長崎は雨の尠いところだそうだのに、今朝も、雲母《きらら》を薄く張ったような空から小糠雨が降って居る。俥で、福済寺へ行く。やはり、南京寺の一つ、黄檗宗に属す。この寺は、建物も大観門から青蓮堂――観音廟を見たところ、同じ辺から護法堂へ行く窟門の眺めなど、趣き深い。永山氏の紹介で、現住三浦氏が各建物を案内し大方丈の戸にある沈南蘋《ちんなんぴん》の絵を見せて呉られた。護法堂の布袋《ほてい》、囲りに唐児《からこ》が遊《たわむ》れて居る巨大な金色の布袋なのだが、其が彫塑であるという専門的穿鑿をおいても、この位心持よい布袋を私は初めて見た。布袋というものに人格化された福々しさが、厭味なく、春風駘蕩と表現されて居る。云うに云われぬ楽しさ面白さ、という表情を以て無邪気極りなく格子の奥に笑って居る。
大観門の左右にあった、高さ凡そ二尺二三寸の下馬じるしを意味する一対の石の浮彫も目に遺った。この門の前、石欄のところに、慈航燈が在る。高く櫓形に石を組みあげた上に、四本の支えで燈籠形の頂がつけられて居る。恐らく昔、唐船入津の時節、或は毎夜、そこに燈明が点ぜられたものであろう。大体、この福済寺からの眺望は、長崎らしいということでは際立ったものと思う。細雨を傘によけて大観門外に立って見ると、海路平安と銘あるそのすっきりした慈航燈を前景とし、右によって市中の教会の尖塔がひとり雨空に聳えて居る。濡れた屋根屋根、それを越すと、煙った湾内の風光が一眸におさめられる。佇んでこれ等の遠望を恣にして居るうちに、私は不図、海路平安とだけ刻まれた四字の間から、海上はるかに思をやった明末の帰化人の無言の郷愁《ノスタルジー》を犇《ひし》と我心にも感じたように思った。
第四日
運のわるいこと。今日は雲の切れめこそ見えるが、急に吹き降りの大粒な雨が落ちる。けれども、今日引こもっては、もう大浦、浦上の天主堂も見ずに仕舞わねばならない。其は残念だ。Y、天を睨み
「これだから貧棒旅行はいやさ」
と歎じるが、やむを得ず。自動車をよんで、大浦天主堂に行く。坂路の登り口に門番があり、爺さんが居る。これも、永山氏の御好意による名刺を通じると、爺さん
「日本のお方か、西洋のお方か、どちらへあげるね」
と訊く。どちらでもよいように永山氏はただ大浦天主堂御中という指名にされてある。私丁寧に答える。
「どちらでもよろしいのです。拝観さえ出来れば」
すると、爺さん、名刺を見ようともせず私にかえし
「拝観なら、私でええ。今、葬式で皆お留守だ。そこの右の方から入って見なさい。木の仕切りの中へ入りさえしなければ勝手に見なさってええ」
私共は顔を見合わせ、当惑して笑い合った。今度はYが訊く。
「勝手に拝見してわかりますか」
「――わたしはな、もう年よりで病気だから、説明が出来ませんじゃ、ここが苦しいから――だからただ見るだけ」
冬の日向ぼっこのような平和な愛嬌が爺さんの言葉に溢れる。
ただ拝見することにして、右手という、正面入口の右手扉を押して見たが明かない。ぐるりと後に廻ると、開く扉はあったが、司祭控室らしく、第一、下駄で入ってはわるそうだし困って、私
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