だという風になってしまいます。
一、けれども、考えるということ、又判断するということを、私たちは、知らず知らずのうちにいつもしているわけです。たとえば、(きょう本を買うにしても三味[#「味」に「ママ」の注記]堂の話、)この頃芝居の切符を買う人の買い方が大変変って来たとききます。預金封鎖の強化と失業におびやかされて、芝居ずきの人も手当りばったりに金を出さなくなったわけです。本やでも同じことが云われはじめました。本当にいい本必要な本しか売れにくくなったと。
ここに、生活の条件とぴったりあった人の考えかた、判断というものがあらわれているわけです。
きょう本を買うにしても、その判断を示す一冊の本の買いかたに私たちの今日もっている文化の水準も傾向もおのずからあらわれているわけです。
一、ところが、面白いことに、そうして自分たちの文化の水準をまざまざ示して一冊の本でも買う方に、「今日の文化について御意見を」と云われでもすると、その人は何と答えられるでしょう。「やア、僕はそんなむずかしいことを喋る柄じゃないですよ、」と云う場合が多いのです。
一、民主的な社会で、大切なのは多数の人々の意見で
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング