朝の話
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)朝《アシタ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四六年九月〕
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 一、今年は珍しく豊年の秋ということで、粉ばかりの食卓にも一すじの明るさがあります。
 一、けさも又早い時間にお話をすることになりました。が、この時間の放送に何か理屈っぽい、云ってみれば教養めいたお話をするということがいつもそぐわなく感じられます。
 一、どんな方でも、朝おきてさてこれから一日の活動にとりかかろうと、その気持で食卓にも向い身じたくもととのえるとき、其々御自分として何か一日の計画をもたない方があるでしょうか。
 一日の計は朝《アシタ》にあり、と世界中で云いふるされています。
 一、そうだとすれば、あらゆる方々が御自分の一日の計をもって充実した気分を保とうと希んでいらっしゃるとき、わきから思ってもいなかった話を注ぎこまれるというのは愉快なことでしょうか。むしろ、落ついて心持のよい音楽でもきいて活動の準備をしたいと御思いにならないでしょうか。
 一、ところで、いま、みなさまのお心にはどんなお考えがあるでしょう。実に様々であろうと思います。
 一、きょうは一つ本を買おう一つ靴みがきをさせようそう思っている方もあればきょうは一つカミソリの刃を買わなければならないと思っている方もあり、きょうこそ一つあの話をものにして、と事業のことを考えている方もあるでしょう。今の瞬間に考えていられることが、きょう一日のうちにその幾らの部分実現されてゆくでしょう。
 一、大体、ものを考える、ということを、私たちはこれまで大げさに、むずかしいことに思いすぎて来ていると思います。
 あらゆるときに人間というものは只生きっぱなしているものではない、必ず経験していることを、心にうけとって、そこから一歩進み出た考えをまとめているものだ、ということを、知らなすぎたようです。
 だからものを考える、というといつでも何かむずかしい題がつくようなことを、いかめしく考えなければならないように思って少し世馴れて来ると、考えるということを面倒くさがるのが、わたしたち、特に日本人の癖です。考えたってはじまらない。よくそう申します。そんなことを考えるのは、俺の柄じゃない。
 そして、学生時代だけがものを考える時
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