だという風になってしまいます。
 一、けれども、考えるということ、又判断するということを、私たちは、知らず知らずのうちにいつもしているわけです。たとえば、(きょう本を買うにしても三味[#「味」に「ママ」の注記]堂の話、)この頃芝居の切符を買う人の買い方が大変変って来たとききます。預金封鎖の強化と失業におびやかされて、芝居ずきの人も手当りばったりに金を出さなくなったわけです。本やでも同じことが云われはじめました。本当にいい本必要な本しか売れにくくなったと。
 ここに、生活の条件とぴったりあった人の考えかた、判断というものがあらわれているわけです。
 きょう本を買うにしても、その判断を示す一冊の本の買いかたに私たちの今日もっている文化の水準も傾向もおのずからあらわれているわけです。
 一、ところが、面白いことに、そうして自分たちの文化の水準をまざまざ示して一冊の本でも買う方に、「今日の文化について御意見を」と云われでもすると、その人は何と答えられるでしょう。「やア、僕はそんなむずかしいことを喋る柄じゃないですよ、」と云う場合が多いのです。
 一、民主的な社会で、大切なのは多数の人々の意見であり、多数の人々が自分の意見を出し合って、その結論を互に出発したところよりは高く豊富で合理的なところに育ててゆくのが大事な特長です。
 一、輿論というと、むずかしく思えるけれども、誰でもきょうの現実に即して考えていられる生活のあれこれが、それぞれに一つずつの見解輿論のもとになっていると思います。
 東京の町なかでこの間のうちあちらこちら盆踊の太鼓が鳴りました。ハア、おどりおどるなら、という唄が流れ、夜更けまで若い人々は踊りました。ことしは豊年というので、ああ踊が立ったのでしょうか。
 あの太鼓をきいて思い出した方が多いでしょう。戦争がうんとひどくなるすこし前に政府は日本じゅうに踊をはやらせて、ものを真面目に研究したり考えたりする年頃の若い人を、さんざ踊らせました。
 踊りふけっているとき、頭の中に何があるでしょう。今日、豊年という日本の秋には、深刻な失業の問題が私たちをおびやかしていてその対象は先ず婦人青年です。国鉄を見てもそれはすぐわかります。この間の踊を熱中したのはどんな人々でしたろう。若い婦人若い男の人たちでした。太鼓は鳴ります。うたがきこえます。そして私たちは、何年か前に、これ
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