かでは割合発見してゆけるように、重吉もサヨのそういう実際を、サヨの下手なスケッチ絵ハガキからつかむだろうし、そのことから、重吉自身が自分の心の明暗を濃やかに活々とさせ得ることがあったとしたら、うれしいにちがいなかった。
絵に表現されてあるものについては、ともかくぐるりの友達が遠慮なく感想を云ってくれる。それもサヨにはよろこびであった。絵をやりはじめてから、いつかの春、雑司ケ谷の墓地のあたりを切なさいっぱいでふらついて歩いた。ああいう衝動も、サヨは情熱の潜勢力のようなものにかえて暮せるようにもなった。
八月はじめの或る夕方、サヨは妹夫婦の家に行った。ゆき子が初産で、予定の日が来ていた。母親が早くなくなっている姉妹で、そういうときゆき子は姉を心だよりにするのであった。
重々しく充実した体にちょいと可愛くサロン前かけをつけて、上瞼に薄く雀斑《そばかす》のある顔を傾けながら、ゆき子はいやに断定するように、
「今夜あたり、どうもあぶなっかしいわよ」
と云い出した。進一は縁側にねころんで食後の煙草をつけている。
「またおどかしだろう」
「ずるいわ、御自分はこわいもんだから」
サヨがあわてたように二人を見くらべながら、
「ねえ、ちょっと。自動車大丈夫なの? 私いやよ」
と云った。
病院へはサヨがついて行く約束になっているのであった。
ほんとに夜なかの二時すぎたころ、サヨはひどく甲高な声で何か云っているゆき子の声と格子のあく音とではっと目がさめた。茶の間へおりて行ってみると、ゆき子は煌々とした灯の下で、もうさっぱりした浴衣にきかえて、立ちながら手くびにつけた時計を柱時計と合わせている。
「ああ、めをさまして下すって、よかった!」
幾分ふだんと変った声で云って、腕時計の面を見守りながらねじをまいている。
サヨはいそいで着物をきかえ、進一が運転台にのって来た自動車にゆき子をのせた。ゆき子はサヨの手を握っていて、痛みがよせて来るたびに握っている手に力をこめて息をつめるのであった。
「大丈夫? もつ?」
そう云いながらサヨも我知らず人気ない街を疾走している自動車の中で草履の爪先に力をこめた。痛みの間がだんだん短くなって、サヨの心配が絶頂になった時、車はやっと病院に着いて、ゆき子はすぐ産室につれられた。
二階の室で、閉めてあった窓をすっかり開け、サヨはそこにあった籐椅子を
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