もったとき、乙女も来て暮したらどうだろうかという案が友子から出された。そのとき乙女は、相変らず小柄な体に派手ななりをして、長い両方の眉毛をつりあげるようにして下唇をなめる昔の癖を出しながら、そりゃ一緒に暮して行ければ、あたいもいいと思う、と云った。そして、もう一度上唇と下唇とを丁寧になめると、けんどね、と力をこめて目を据えるように、もしあたい一人になったりしちゃって、困らないだろうか。サヨ子さんたちは、そういうときでもちゃんと成長してゆけるけど、あたいはやっぱり普通の女で、そうやっていたっていつまでたっても、普通の女としてのこるばっかしだろう。
野兎のおどろいた時のような素朴な美しい感じの顔をしていた乙女が、いつ友達の女たちと自分の一身との間にそんな区別をおいて身をしさらすことを覚えたのだろう。そう思ってサヨはその時大変悲しかった。
その時分に、勉が生前知り合いだった画家との間がどうこうという話があった。
「勉さんがあんまりストイックだったから、乙女さんの気持もわかるようなところもあるけれど……でもね」
その画家を勉がしんからすいていたとはいろいろな事情から考えられなかった。勉が善意に生きて死んだ熱心さが、妻である乙女の躯でどうでもいいものとされているとすれば、それは、死んだひとにとっても生きている自分らにとっても一つのむごたらしいことだとサヨには思えるのであった。
初夏が来て、新緑の雑木林は、夜も昼も捲きひろがろうとする若葉の勢で幹も黒く軟くひきのばされて揺れているような眺めとなった。
その夏は、原っぱのトンボ釣りの子供らがずーっと活躍の範囲をせばめられた。飛行公園になるとか云われていた原っぱに梅雨があがると、トタン葺きの大きな作業場が拵えられ、土工の飯場が出来た。一日じゅう掘りかえされたり、木材を満載したトラックがひどい音でエンジンをふかしたりした。
サヨはもう原っぱを抜けるのはやめた。そこばかりでなく、原っぱへ入る針金のやぶれのそばでも、地割りをしたところに地鎮祭の御幣が白い紙を風にひるがえしていた。釘がない。材木がない。そういう世間をよそに原っぱでは同時にいくつもの建築が着手された。遠くの自動車練習場の日の丸の旗は見えなくなっていた。ガソリンが払底だった。
秋がすすむにつれて、原っぱの工事場のごったがえした堆積の人間の動きの中から、徐々に建て
前へ
次へ
全17ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング