中国に於ける二人のアメリカ婦人
――アグネス・スメドレーとパァル・バック――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)愈々《いよいよ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)女[#「女」に傍点]であるために受けて行かなければならない
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アグネス・スメドレーの「女一人大地を行く」という自伝的な小説は一九二九年アメリカで出版されて以来、殆ど世界各国語に訳され、日本でも少なからず読まれた。
この間、窪川稲子さんに会ったら、或る若い勤労婦人のひとで、この小説を読んだ感想に、アグネスがどうしてああいう風に男を反撥してゆかなければならないのか、その点があの小説ではよくのみこめなかったと云ったという話が出た。特に書かれている限りでは立派な、理解の深い青年であると思われる男達とさえ、アグネスは次々と破局をもって別れている。それはどういうのだろうという疑問が出たということであった。
この言葉は私の興味をよびおこし、よほど前その一部分を読んだきりになっていた「女一人大地を行く」という小説を改めて最後まで読み終った。
これは非常に率直に書かれた一人の女の発展史の一部である。アメリカのオクラホマ州の貧農の家に生れ、後コロラドの鉱山町にうつり、非常な貧困と闘って苦学し、遂に急進的なジャーナリストとして活動するに至るまでのアグネスの生活が、大胆に描き出されているのであるが、一人の女によって書かれているこの一冊の本が女の読者に与える印象、影響、反省というものには、特別に複雑なものがある。よかれ、あしかれそれがその自伝小説のつよい色調をかもし出し特徴の一つをなしている。ただ貧農の娘の階級的立志伝ではない強烈な、不安な、燃え顫える光線が体にかかって来るような感じを与える。そして、その殆ど猛烈な波動は、その時代のアグネスの内部に常に対立していて激しく噛みあっていた女としての本来は健全な性的欲求と、女がこの社会で女[#「女」に傍点]であるために受けて行かなければならない常套的な結婚生活における様々の半奴隷的事情、因習に対する断乎たる闘争の決心との間の心理的な相剋葛藤から迸り出ているのである。
西部の人[#「西部の人」に傍点]として強い血気を蔵していた両親の娘であるアグネスの曠野育ちらしい血気は、一口にアメリカの女といってもボスト
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