をのぞいて、常に「深切や恋愛に憧れ」つつ「これらのものを恐れる」気持、「人は恋をすると容易に奴隷になってしまう」「私は奴隷になりたくない。自由は恋愛よりも崇高だ」。「少くとも今日においてはそうだ」という彼女の所謂《いわゆる》理知の命令にしたがった結果なのである。
情熱的な、自然児風な魅力あるアグネスは場合によっては極めて単純に恋愛の感覚に運ばれてしまう。「度々単にある境地に押し流される」すると、程なく「理性と猛烈に闘っていて」彼女の打ちひしがれた心が「再び反抗して立ち上った。」
そうして、仕事にかけては機敏で実際的で、明敏でさえあるアグネスが「再び[#「再び」に傍点]反抗して立ち上って」結婚というものを否定しはじめると、これは又何と痴鈍に頑固に、非現実的に偏執的になるのであろう! この点では殆どすべての読者をおどろかすものがある。アグネスは、結婚の腐敗から女を救い、よりましな結婚を存在させる社会をつくるためには、一組一組ずつの結婚生活が、今日の現実の中で、最前をつくしてよりましなものにする努力に於て営まれてゆかなければならないという事実を、全く考えて見ようとも思っていない。性的牽引としての恋愛と結婚とはアグネスの内部で自由と奴隷の二つの極端に立たせられ、観念の上においてさえ決して和解出来ぬもののように現れている。彼女を愛す善良で進歩的な男たちが、新しい内容で男女の結婚生活の可能を説得しようとしても、アグネスは執拗にその手をふりもぎって、最も悲惨な形での妻、母の生活の絵から、目をはなそうとしない。彼女の幼年時代、少女時代、その境遇は十分彼女の心にその恐ろしい画面をやきつけたであろう。しかし、そういう妻及び母としての女の負担は、現代に生きる自分たちの生涯を貫いての献身と努力とで将来社会的に軽減され得るものである。決して一人の機敏な精力的な女がアナーキイに感情の二つの極から極へとのびうつる輾転反側では解決しない。アグネスが、例えばソヴェトの新生活の意義についてこの小説の中でも簡単ながら触れているにかかわらず、自身の女としての苦悩は、新社会でどう解決、統一の方向に実行されているかという点に注目を払わず、只個人的に、内面的感情的葛藤の範囲でしか、とりあげていないのは残念である。自由と恋愛とが「いつかこの二つのものが、一つになる日が来るだろう」と云いつつ、自分の生きかたで彼
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