たばかりではない。若い女の服装が夜目に際立って派手であった。薄紫に白で流行の雲形ぼかし模様に染た縮緬の単衣をぞろりと着、紅がちの更紗の帯を大きく背中一杯に結んでいる。長い袂から桃色縮緬の袖が見えた。まわりを房々だした束髪で、真紅な表のフェルト草履を踏んで行くのだが――それだけで充分さらりと浴衣がけの人中では目立つのに、彼女は、まるで妙な歩きつきをしていた。そんなけばけばしいなりをしながら、片手で左わきの膝の上で着物を抓み上げ持ち上った裾と白足袋のくくれの間から一二寸も足を出したまま悠《ゆっ》くり歩いて行く。左右を眺めるでもなく歩いて行く。――私は、異常な気持がした。その若い女を見て、何か感情に訴えられるもののあるのは私ばかりでないと見え、縁台を出して涼んでいる者も、わざわざ頭を廻して、彼女の後姿を見送った。然し、言葉に出して批評する者もない。皆がただ或る感をもって目送する。若い女は、そういう人目に一向頓着せず、やはり着物のわきを抓み上げたなり、赤い帯、赤い草履でゆるゆる行く。女は半町ほど行って、面白くもない編物細工を陳列した一つの飾窓の前に止まった。機械的に、下膨れな顔をキッと仰向け、暫く凝っと眺め、また歩き出す。――後からその歩みぶりを見ると、若い女の心に行く先も、道順もこれぞと云って定っていないのが明かに感じられた。女は、家と名のつくところへ帰って行くのでもない。時間のある処へ訪ねるのでもない。ただ歩いている――幸福でなく、異様にあてどない空虚な空気に包まれながら、歩いてゆく。私は、その女の感情がありあり分るようで、少しせつない気がした。
 一寸した買物をしているうちに私共はその女の姿を見失った。友達も気になっていたと見え、店を出ると、
「どうした? あの女、どっちへ行った?」ときいた。
「よほど先へ行ったから、あの交番のところでどっちへ行ったか分らないわ――でも、きっと明るい方よ、賑かな方へ行ったに違いなくてよ」
 私は、確信をもって云った。
「そういうたちよ」
「――誘う水あらば、いなんとぞ思う――?」
「ふむ」
 幾分陰気になって、我々は山伏町の通りへ曲った。九時前後で、まだ人出は減っていない。夜店のアセチリンガスの匂いが、果物や反物の匂いと混っていた。赤や白のビラがコンクリイトの上に踏躙《ふみにじ》られた活動写真館の入口に、
「只今より割引」
という札が出ていた。七八人の男女が表に出ている写真を看ていた。通りすぎようとすると、友達が、
「一寸」
と私の腕を控えた。
「この麻雀というの、こないだの蜂雀の真似じゃあないこと――そうだ、滑稽だな、澄子の麻雀とは振っている。一寸立ち見をしないこと」
 私は、日本映画は嫌いなのだが、蜂雀を麻雀とこじつけた幼稚なおかしさや、澄子がどんなに真似をするのかという好奇心に釣られた。垂幕《たれまく》をあげて入ると、中は満員であった。やっと、二人が立つと、すぐ麻雀が始まった。蒲田で、澄子その他が麻雀をして遊んでいると、その遊戯を知らない何とか君《くん》という、ひどく太い眉毛の若者が傍のソファで仮睡をし、夢で女賊マジャーンに出会するという筋なのだが――マジャーンが、スワンソンの蜂雀通りの扮装でスクリーンの上に蜂雀通りの順序で現れると、私共は思わず笑い出してしまった。小柄な、くくれた二重顎の一重瞼の眼付から笑う口許まで、ひどく陶器人形じみた顔付の澄子は、何とうまくスワンソンの真似をすることだろう。さも悪者らしく、巻煙草の横くわえで、のっそりのっそり両手をパンツの衣嚢に肩をそびやかして横行するところから、あの両肱をぐいと持ち上げる憎さげなシュラッギングまで。堪らず私を笑わせたのは、そんな悪漢まがいの風体をしながら、肩つきにしろ、体つきにしろまるでふわふわで、子供っぽくて――謂わば小さな子が大人の帽子でもかぶったようなところのあることだ。
 真似が上手ければ上手いほど可笑しい。自然に溢れる滑稽は、眉太き青年旅行家が殴り倒され、麻雀の保護を受け、麻雀が若者に参る頃から頂上に達した。階上で怪我した若者の看病をするそのまめまめしさ、動作の日本女らしさ、澄子は気がつかず地で行っている。階下では小泥棒共が、騒ぎ立てる。麻雀は彼等を籠絡して、可愛い眉太男を守らなければならない。そこで二階の踊場へ姿を現すと、愕然として、麻雀は自分が麻雀だったのを思い出したらしい。さて、とスワンソン張りにポーズし、眼瞬きの合図をし、シュラッギングをし、さも図太い女賊らしくテーブルに飛びのって一同をさしまねく。――そのうつり変りの間に、何とも云えず愛嬌があった。可愛ゆさに似たものがこぼれる。
 段々監督が箍《たが》をゆるめ、馬鹿らしいちゃりを入れ出したので、終りまで見る気がなくなったが、私はそこまで可なり愉快であった。けれども、
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